をもってとは?/ マイワン
[ 600] 猫を償うに猫をもってせよ
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/
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私がこのブログを初めてプライベート・モードにしたのは、一昨年9月28日、母が検査入院すると電話で聞いた時のことだった。攻撃的な内容も多いものを公開しておく気力を一気に失ったのである。 母の治療が始まり、希望が見えてきた時に公開に戻したが、その後再び悪化したと報せを聞くごとにプライベート・モードにしてきた。 私はガンディーを崇拝などしていない。その理由は山際素男の『不可蝕民』や山際の訳した『アンベードカルの生涯』を読めば分かる。 また私は西洋の技術や精神を排斥しなければならない、とも思っていない。ただし、日本には「シナ」を許さず、英国人には「チャイナ」を許すようなシナの姿勢は正すべきだと思っている。むろんそれは呼称だけの問題ではない。 いや他人のことではない。自分のことである。実に低レベルな相手と論争したりするのも、閑居ゆえだろうと反省する。 この匠雅音とかいう建築家のお方だが、別に建築家という素人でも、勉強すれば優れた著書をものすることはできるだろう。だがこのお方は、歴史についても論理についても、まるでダメである。実に申し訳ないが、もう一度勉強し直してもらいたい。 前のほうを見て、坂東真理子が自分の著書を盗作したなどと名誉毀損まがいのことを書いているが、「核家族」を否定して「個」を重視、なんて、1990年代には世界中のフェミニストが言っていたこと、と言っても過言ではないし、落合恵美子や伊田広行が現にそれで林道義から批判されているのもご存知ないのか。しかもそんなものは、核家族どころか、結婚もできない若者が増加している現在、まるで無意味な十年前の議論である。もちろん、坂東もまた教養のない人である。実にあほらしい。いったいどの程度に勉強を怠れば、こういうバカバカしいことが書けるのだろう。97年ならばそんな議論も通用したかもしれないが、今ではまったくナンセンスである。 「被爆体験をする」とはどういうことか。死んでしまった人のことではなくて、被爆して生き残った人のことを言うのか? その後の文章も意味不明だ。「核兵器と通常兵器の脅威が等価」というのは誰でもそうだろう。それとも被爆して病気になった人のことを言うのか? それなら枯れ葉剤の後遺症とかどうなるのか。通常兵器による傷痍兵というのもたくさんいるのだがね。mailinglistくんは被爆者なのだろうか。その後段もよく分からぬ。「インドに核が落ちる」と言う。しかし、日本でも広島と長崎と第五福竜丸以外は核の被害に遭っていない。だから前段では、私が、日本人だが被爆体験をしていない、と言うわけだが、パールの言うことをもっともだと思う私には「被爆体験がないから」と言うなら、「インドに」ではなくて、パールが広島にいなかったから、と言うべきだろう。そうでないとこの議論は、二重基準に陥っていることになる。分かるかね。 (付記)西洋の覇権主義から始まる、かどうかは知らぬ。別にそんなものがなくたって核爆弾は発明されえたし、使われえただろう。またMくんは「×」と書いているのは、どういう意味だろう。 「山中幸盛」って尼子十勇士の山中鹿之介の名前だと思うが、鴻池組というのは山中鹿之介の子孫らしい。もちろんこちらは筆名で、本名は水田功って人のようだ。文部官僚とは別人だろう。 昭和17年に書かれた小説を読んでいたら、地方へ出かけた主人公が「ごり押し」という言葉を聞いて、そんな言い方をするんだ、と訊ね、ゴリという魚を捕らえる方法から出た語だ、と解説される場面があった。どうやらもとは大阪か関西方面の言葉で、戦後、1970年ごろから広まったらしいが、今後少し調査する。 四月は新聞リニューアルの季節。毎日新聞が「論争のある新聞に」などと書いているのを見て微苦笑。どうせ論争なんかさせる気ないくせに。売春、死刑、禁煙ファシズム、天皇制など私は論争のネタをずいぶん抱えているが、どうせ新聞で論争なんかさせないでしょ。 朝日新聞の「嫌煙権30年」の記事、私のコメントがあるのが救いだが、別になくてもいいああいう記事を載せるようでは、まだ朝日に戻す気にはならんね。まあ記者氏懸命の努力は、渡辺文学が「監視して」と言っているあたりに現れている。「監視」だって。もうすっかり戦争中の軍部と同じだよね。新聞とかに抗議に押し寄せて、都合の悪い言論は弾圧しているんだから。そこのけそこのけ禁煙ファシストが通るだよ。 水谷尚子さんが毎日新聞夕刊に出ていて、日本のマスコミもシナ政府の漢民族中心主義を無視できなくなったところで、岩波新書が出しているとんでもない本についての記事を再掲。 昨日の読売新聞夕刊に私の取材記事が出ていたが、この文章は私の校閲を経ていない。私は「暗く惨めな体験を小説にするのはつらい」とは、積極的には言っていない。記者「つらいでしょう」敦「いや、別に」記者「でもつらいこともあるでしょう」敦「まあ、少しは」みたいな会話で、始めから「つらい」という結論ありきの誘導尋問みたいな取材だったのである。だいたい、暗く惨めな体験を小説にするなどというのは、明治期から日本の私小説ではもちろん、西洋の作家だって折りに触れてやってきたことで、明るく楽しい体験なんか小説にしたって、そりゃ「純文学」にならないだろう、普通。 それから写真だが、私が喫煙していない。これも、記者氏が撮影場所へ着くやいきなり、「いやあタバコを吸ってる写真は上司が認めてくれないもので」などと言い出し、私はむっとして、それでも取材に応じたのだが、そんなことはわざわざ言わなくてもいいのである。その上、その夜になって、撮った写真が上司からダメだと言われたので取り直させて欲しいと言ってきて、私は新聞の傲慢さに腹をたて、「喫煙している写真がダメだというならお断りする」と返事をしたら、「喫煙していてもいいです」と言うから再度の撮影に応じ、あちらを指差してくださいなどというバカげた注文さえ受けて、それは断ったが、俺は藝能人じゃないのだとムカムカしていたが、要するに騙されたわけである。 荒正人の『漱石研究年表』のようなものはなぜほかの作家にはないのか、と思ったところから、谷崎詳細年表の作成が始まり、谷崎伝に繋がったわけだが、その後、岩波の芥川全集に、芥川のそれらしい年表があるのに気づいて、そう書いておいたのだが、その後ぼちぼち見ていると、当初から、芥川の年表がこんなに簡単でいいのか、という疑問を抱いていたのだが、これが結構杜撰であることに気づいた。たとえば大正14年3月末、芥川の媒酌で佐佐木茂索と大橋房子が結婚、とある。日づけが確定できないのか? と思って『佐佐木茂索随筆集』を見たら巻末の年譜にちゃんと「27日」と書いてあるではないか。この程度のことも調べていないのでは、この年表は使い物にならない。だいたい、一冊の単著もない宮坂覚とかいう人にこんなものをやらせるのが間違いで、芥川なら関口安義だろう。 山田風太郎の『同日同刻』(文春文庫)は、太平洋戦争開始の日と無条件降伏の玉音放送の時の人々の記録を集めたものだ。私がこれを読んだのは金井美恵子先生が推薦していたから。 その中に、開戦の時、広島高校教授、英文学者の雑賀忠義が廊下へ飛び出してきて頓狂な声で「万歳!」と叫んだ、と、林勉の文章から引かれている(『学徒出陣の記録』中央公論社)。この雑賀が、敗戦後、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という碑文を選び揮毫した人物なのだが、意外に知られていないようだ。もっとも、真珠湾攻撃成功の際には、多くの日本人が快哉を叫んだのだから、一概に雑賀を責められまい。 そういえば私が大学へ入った時も、「過ちは日本人が犯したのか」とか、「全ての人類が原水爆の被害者なのだ」とか議論していたっけ。しかし核廃絶運動って今ひとつ分からんのだ。通常兵器ならいいのか? という素朴な疑問があるわけで、別にヴェトナムで核が使われたわけじゃないし。まあ実際問題、イランなどに持たれたらたまらんが。 |
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