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後悔とは?/ マイワン

[ 688] 後悔してしまう − 悩みのヒント
[引用サイト]  http://nayami.shiawasehp.net/koukai.html

「こんなことをする(言う)んじゃなかった」「こうしたらよかった」「××したらどうしよう」などと考えて、自己嫌悪や罪悪感や自責の念や不安な気もちなどを抱いてつらい思いをしてしまいます。
「後悔先に立たず」ということわざもあり、確かにすんでしまってから後悔してもしかたがないこともありますが、後悔を活かせることもあると思います。
後悔をしやすい人の中には、自分のしたことを悪く悪く考えるクセがある人がいます。自分がそういうタイプだと思う人は、「本当? 絶対?」と自分の考えを疑ってみることをおすすめします。
自分がしたこと・言ったことが良くなかったとわかった場合、あわてたり自分を責めたり落ち込んだりしてもしかたがありません。後悔を活かすためにも、まずは心を落ちつけることが大切です。
自分の間違いを「こういうこともある(ハオハオ)」と受け入れ、「悔いる気もちになるのもしかたがない(ハオハオ)」と自分の感情を受け入れ、「こう考えてしまうのもしかたがない(ハオハオ)」と自分の思考を受け入れることです。
もし、補えることができるのなら補う、取り消せたり元に戻せることはそうする、やり直せることはやり直す、人に迷惑をかけたのなら素直に謝る、・・・今からできることがあるのならそれをやればいいのです。
人は誰でも間違いをするものです。間違ったあとにどう対処するかが大きいと思います。私は、誠実に対処するのがいいと思っています。
「今回はこうして悪かった」のなら、「次はこうしよう」という対策が見つかったのなら、それでいいと思います。
一度ちゃんと反省をしたのなら、そのあとにその事をつい思い出してしまっても、「今度はこうしよう」「いい経験だった」のように考えることで、後悔しなくてすむのではないでしょうか。
と言っても、反省したからといってすぐに思ったようにできるとは限りません。何度でも反省をして、いろんな工夫をしながら、自分をいい方向に少しずつ変えていくことができれば、と思います。
「後悔して自分を責めるのではなく、反省をして自分を育てよう」と考えられることが大切なのだと思います。
自分が人間として少しでも成長できる経験ができたと考えることができれば、後悔するような事も人生の中ではいい経験なのです。
ちょっとでも気になることやうまくいかないことがあると、悪いほうに考えて後悔してしまうのではないでしょうか。
「自分には後悔するクセがあるんじゃないか」と思う人は、「私には後悔するクセがある」とはっきりと自覚することです。
そうすると、つい後悔する考えをしてしまった時に、「あ、またこのクセだ」と気づきやすくなります。自分の悪いクセに気づいたら、その時にやめればいいのです。「後悔するのはやめよう」と考え、さらに、それをきっかけに、「何かいいことを始めよう」と考えればいいのです。
世の中には、自分の過ちに気づかない人もたくさんいます。知らないうちに、人にイヤな思いをさせたり、迷惑をかけたり、傷つけたりしている人が多いのです。
後悔しやすい人は、そういうことは少ないはずです。たぶんまわりの人は何とも思っていない場合が多いと思います。

 

[ 689] 「ゲーマーの後悔」は終わらない | WIRED VISION
[引用サイト]  http://wiredvision.jp/news/200710/2007100221.html

このゲームを始めてから10日が過ぎたころ、「設定」メニューをちょっとのぞいてみたところ、「プレイ時間」というオプションがあることに気がついた。ゲームと格闘した時間の長さがわかるらしい。好奇心からクリックしてみた。
見たとたん、とてつもなく落ち込んだ。36時間だって? こんなゲームのなかに1日4時間ほども入りこんでいたとは、いったいどういう気だったのだろう?
ここで、このコラムのテーマとなった疑問がわいた。おそらく私にとっての永遠のテーマになるだろう疑問、すなわち、これでいいのだろうかという疑問だ。これほど長い時間をゲームに費やすと、人の人生設計をどれほど変えるのだろう?
ゲーマーは日夜このジレンマと戦っているというのが、隠された不本意な真実だ。ゲーマーはしばしば、私が「ゲーマーの後悔」と名づけた感覚に襲われる。ゲームをしていた時間にできたであろうさまざまな活動に思いをはせるときに、突然わき起こってくる恐ろしいほどのむなしさだ。
私は、毎年、丸1ヵ月をゲームに費やしていると知って、ショック状態になりかけたゲーマーを1人ならず知っている(Nick Yee氏の研究によると、驚いたことに、これが平均的な数字だそうで、1週間に20時間はゲームをしている計算になるらしい)。
私は通常、できたはずなのにしなかった活動をリストにまとめるという行為で、恥ずかしながらこの「ゲーマーの後悔」を形に表している。
地域の病院でボランティア、語学の勉強、ネズミの巣のごとくごちゃごちゃになっているオフィスの掃除、新しい原稿の執筆にとりかかる、なんだってできたじゃないか! いや、単にギターかなにかを弾いていたってよかったはずだ。この世にいられる貴重な時間の使い方としては、その方がまだ空虚さが少なかったのではないか?
私はときどき、ゲーマーを苦しめる深い後悔の念と、ゲームがいかに素晴らしい作品になっているかは、残酷に絡み合って結びついている気がする。高くのぼれば、深く落ちるものだ。
本当に優れたゲームは、魅力的で思いのままになるもう1つの人生を提供するので、プレイヤーはその懐へとしっかり抱き込まれていく。戦争ものであろうとパズルであろうと謎解きものであろうと、プレイヤーは、あるシステムと取り組んでマスターしようとする。それは、とてつもなく複雑だが、ゲーム以外の現実生活とは違って現実に習得可能なシステムだ。
クロスワードパズルの専門家、Will Shortz氏は以前、人が紙とペンを使うパズルを愛する理由は、「人生には答えが1つではない問題が山ほど存在するが、クロスワードでは答えは1つと決まっていて、それを見つけ出すことができるからだ」と私に話したことがある。
確かにそれはあるだろうが、われわれが成し遂げたことは、この上もなく独断的で、非生産的な仕事でしかない。ゲームが終わったときに私が感じる喜びにはいつも、少しのむなしさが付きまとう。もっと生産的で、難しくて、やりがいがある何かをした方がよかったのではないか?
いや、ちょっと待て。これは、愚かな純粋主義者の思考だ。ビデオゲームは、クロスワードと同じ遊びの1形式であり、遊びは、健全な成人を構成する重要な要素の1つだ。
ゲーム理論家のRaph Koster氏が常に指摘しているように、われわれの遊び好きの脳は、パターンを探したり問題を解いたりするのが大好きであり、しくじったとしても自分自身に何の影響も及ばない環境でそうすることには、現実と同じ喜びがある。
こうして、私は自問自答を繰り返す。36時間ゲームをして何が悪い? 私がテレビを見るのは2週間でたった1時間だ。人はみな、自分なりのリラックス方法を持っていて、私の方法は、テレビよりはるかに強く心を刺激するだけだ。家族をないがしろにしている? そんなことはない。ゲームは深夜、睡眠時間を削ってやっている。それでは体に悪いだって? 健康がなんだって言うんだ!
ゲームをすること自体は悪くないのだろう。だが、何事もほどほどにするのが大切だ。それはそうだが、「ほどほど」とはどういうものだろう?
実を言うと、ゲーマーたちの心の中ではこの議論が延々と続いている。問いかけても、答えは決して見つからない。考えないように努力しても、「これでいいのか」という思いは突然われわれに襲いかかり、われわれを苦しめる。その気持ちと格闘し、抑え込む。これが際限なく繰り返されるのだ。

 

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