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挙げとは?/ マイワン

[ 1295] ネット発 声を挙げよう!
[引用サイト]  http://hp1.cyberstation.ne.jp/negi/DEMO/

性懲りもなくネット復帰します。ただ、これ以上、当HPでブログ的なことをやることは、技術的に若干面倒なので、
同日の全代議員会議では、前原代表が米国での講演で中国脅威論やシーレーン防衛強化、憲法改正の必要性などに言及したことについて、出席者から異論や懸念表明が相次いだ。
これに対し、前原氏は「代表として目指す外交安全保障政策を述べただけだ」と説明し、「私なりに、近く党の外交安保政策の戦略ビジョンを示す。徹底的に党内議論した上で、党の考え方としてまとめてほしい」と述べ、外交・安保に関する意見集約に着手する考えを表明した。
こういう記事を読むと、本当に民主党は同床異夢状態なんだな、と思う。確かに、アメリカや中国における前原代表の発言は「過激」であり、旧社会党には決して受け入れられないところであろう。
小泉外交のウィークポイントは、やはり中韓との首脳外交が事実上ストップしていることにある。まあ、朝日や毎日が悲観するほどに「ウィーク(weak)」とは思わないが、対話は無いより有ったほうがいいに決まっている。
そんなとき、野党がこの穴を埋めるべく、中韓と対話を試みようとすることは自然な流れであり、そのこと自体が悪いとは言わない。
これまで、民主党首脳が、中国と握手するために、日本の立場を捨ててまで、御説ごもっとも、とやっている姿は、見るに耐えなかった(まあ一部の自民党議員も同じだが)。あるべき外交を国民に示していたのではなく、政府の足を引っ張るために、(極端な言葉を使えば)外患を呼び込もうとしていたわけだ。
しかし、今回の前原代表は違った。訪中を前提として、それでもなおかつ中国脅威論をぶってきた。もともと私は前原氏のことは評価していたが、ここまで骨があるとは、ちょっと考えなかったねぇ。
かなり大胆な言動であったから、ハレーションは結構でかい。民主党大会では相当に問題になったそうだし、マスコミも大きく扱い、読売は評価し、朝日は批判。しかし、これまでの対中うなづき外交に比べれば、はるかに民主党(というか前原代表)の存在感を示せていた。
確かに、少なくない国民が、対中外交が途絶えている点に対して、懸念を抱いているのは事実だと思う。しかし一方で、中国に軍事的脅威を感じている国民もまた多い。中国と対話せよ、というのは、軍事的脅威に目をつぶれ、ということとイコールではない。多くの民主党員は、そこを勘違いしている。あるいは、イデオロギーの関係から、中国の軍事的脅威を認めたくないだけの話か。
連合会長 対案路線に苦言(NHK)連合の高木会長は、17日、来賓として出席した民主党大会で、前原代表の掲げるいわゆる対案路線について「官僚を自由に使える与党にかなうわけがなく、ほどほどにすべきだ」と述べ、苦言を呈しました。
組合の人に限らず、民主党内部においても対案路線は、必ずしも評判が芳しくない。理由は、上の記事にある通り、「官僚を自由に使える与党にかなうわけがない」ということもあるし、対案を作るのに、相当なエネルギーを要してしまうかららしい。
しかし、これも彼らは勘違いしている。別に、提出される法案全てに対案を出せといっているわけではない。相当にリソースが費やされる重要法案というのは、年に1つか2つくらいはあるもの。そのリソースを、ただ足を引っ張るだけではなく、対案を作成することに費やして欲しい、ということなのだ。去年だったら年金法案、今年だったら郵政法案にターゲットを絞り、そこで能力を発揮できれば充分だったと思う。肝心なところで反対しかできないから、とうとうこの前の総選挙で底の浅さが露呈してしまったわけで。
社説:社説 視点05=郵政造反組 論説委員・与良正男>少々手前みそになるが、毎日新聞が「解散・総選挙があってもいい」と社説で書いたのは郵政民営化法審議が本格的に始まる前の5月20日付朝刊だった。
>この手の話では首相はぶれないという分析もあった。無論、当初から自民圧勝を予測していたのではない。ただ、この程度の「読み」は私たちにもできた。そう言いたいのである。
>「自分党」などと自慢していた自民党が、曲がりなりにも政策の一致をめざす党になったという点で、今も私は夏の郵政解散を評価する。しかし、勝手なものだ。首相が登壇するたび、小泉チルドレンから熱狂的な拍手が起きる状況を見ていると、「こんなはずでは」と感じるのも事実なのだ。
>「日本はみなで幸せになる共生の国だった。今や弱者は強者の繁栄のための道具だ」という亀井氏の主張に、もう少し耳を傾ける時期かもしれない。市場原理優先は手段であり、勝ち組、負け組と平然と色分けされる社会が私たちの目標とは思えないからだ。
大新聞の論説委員ともあろうお方が、亀井氏の「日本はみなで幸せになる共生の国だった。今や弱者は強者の繁栄のための道具だ」なんて言葉を真に受けてどうするんでしょうか。しかも小泉チルドレンが拍手しているなどという、全然関係無い話と結びつけているし。小泉チルドレンが默ってきいていたら、「こんなはずでは」とは感じなかったのですか?
もちろん亀井氏の言葉そのものは、間違っていない。私だって、あまりにも市場原理がいき過ぎてしまうことには警戒している。
しかし、これまで大量に税金をつぎこんでもらえていた道路や、三事業に優遇を受けていた郵政のほうが、どう考えても、強者でしょ。なんで道路や郵政のような特権階級を守って、一般のサラリーマンがサービス残業に苦しんでいることには、全く目を向けないのか?
与良正男さん、あんまり、笑かさないで下さい。自民党の元実力者で、何だかんだで国会議員に当選した人が「負け組」ですか? たかが自民党から追い出されたぐらいのことで、ニートやフリーター、派遣社員、そして正社員のことが、わかるというのですか?
入力ミスというのは、必ず発生する。そして、発生したとき、オペレータをどのようにサポートするかが、そのシステムの信頼性に寄与するところ大である。誤入力をキャンセルすることができなかった、しかもそれがシステムの不具合のせいであった、など、下の下であろう。一刻も早く改修しなければならないし、社長の引責辞任も当然。むしろ当然過ぎて、あまり語る気にはなれない。
少くとも私の経験に照らせば、これまで見たこともない警告が出てきたら、オペレータは恐くなって、他人に相談するなどの対応をとるはずである。にも関わらず、このオペレータは、その段階をすっとばして、リターンをしてしまった。
本来ならば、警告が出力されたら、然るべき人が判断をして、無視するかどうか決めるのが筋。しかし、あまりにも出力される警告が膨大だったり、警告内容が無駄であったりすると、警告を無視するのが当たり前になる。
システム運用の世界で、「オオカミ少年」の昔話がよく語られるが、それは、こういう文脈においてである。本当に、警告の出し方は適正であったのだろうか。
とにかく、システムの警告というものは、出さな過ぎてもいけないが、出し過ぎてもいけない。その兼ね合いは、一見、簡単なようではあるが、人間の心理まで踏み込まねばならないので、実は、なかなか難しいものがある。
ただ、難しいからとて、システムの警告の出し方や、オペレータの運用マニュアルにも、手をつけなければ、いくらシステムを改修したところで、別の事故が起こるだけだろう。
もし地面に平行に投げたら、あっという間にボールは地面にバウンドしてしまう。では、高く飛ばせば良いだろうと、垂直に投げたらどうか。確かに高くは飛ぶけれど遠くへは飛ばない。
ここ数年の間で、日本がかなり右傾化(というよりは、左過ぎたのが真ん中に寄っただけのことであるが)してきたのは、紛れもない事実であろう。この右傾化に対し、小泉首相が果たした役割は相当に大きい。北朝鮮、イラク、中国、靖国…。
しかし、小泉首相は、右翼や国粋主義者からは、売国奴扱いされている。右傾化の立役者が左翼や売国奴ねぇ。何とも皮肉なもんです。
小泉首相はホームランバッターだ。でも、場外ホームランは打たない。唯一、場外ホームランといえるのは、この前の総選挙くらいで、あとは、ギリギリでやっとスタンドに入る程度。一歩間違えばライトにとられるから、「こんなのは本当のホームランではない」などという声もあがる。しかし、小泉首相は、打ち上げの角度を45度附近をキープしているから、何だかんだでスタンドに入るのだ。
この前、逮捕された西村真悟議員は、小泉首相よりもずっと高く打ち上げる。でも決してホームランは打てない。打ち上げの角度が垂直に近いと、ピッチャーフライやキャッチャーフライになってしまうからだ。
でも一部の右翼は、ボールを遠くに飛ばすという本来の目的を見失い、ボールの高さのみをみて、感涙にむせんでいる。垂直に打ち上げたボールは、結局、自分のところに落ちてくるのにね。
こういう輩からすれば、あまり高く飛ばさない小泉首相は、たまらなく売国奴に見えるらしい。しかし、日本は、右翼や国粋主義者のワンダーランドではない。政治を前に動かそうと思ったら、45度附近くらいをキープして、国民からの支持を受ける必要があるし、実際、そのようにして小泉首相は支持率を維持してきた。そして、保守思想を、かなり現実のものにしてきたのである。
現実が現実として固定されると、右翼や国粋主義者のワンダーランドは閉園の運びとなる。しかし、彼らの閉園反対運動に耳を貸す国民は少ないことであろう。
※昔は、垂直近くに打ち上げてしまっても、着地点で誰も守っていなかったから、塁に出ることもできた。でも、それがいつまでも通用するだろうと考え、行動を改めないのは、木の根っこに、ウサギが再び転げてくるのを待っているようなものだ。
※このような状況は左翼も同じ。ていうか、ボールを垂直近く打ち上げると、落下地点は右打ちでも左打ちでも、あまり変わらなくなる。右翼と左翼の行動原理は、よく似てますよ、実際。
小泉純一郎首相は三十日、自民党本部で講演し、中国や韓国が首相の靖国神社参拝に反発していることに「一人の国民として参拝している。なぜ中国、韓国から批判されるのか分からない」と述べるとともに、「靖国問題は外交カードにならない」と強調した。同時に「軍事力は必要だと思っている」と述べ、憲法九条の改正が必要であるとの認識を示した。
立党五十年→戦後六十年→還暦→還暦に親が立ち会う長寿国→古来稀であった人生七十は全然稀ではなくなった といった具合に話が続き、「日本は長生きできる国になった。それは喜ぶべき。でも、実際に長寿国となってみると、新たな困難が生じてきた」と、元厚相らしい話。
そして、話が段々平和施策のほうにシフトしていく。そして「平和が一番大事です」と言い切った後は、軍事力、日米同盟、憲法改正、靖国参拝と、保守系らしい話になっていった。全体的には囁くような話し方をしていた中、この辺は相当に力が入っていた。ああ、この人も自民党員だったんだなァと思わせるものでした。
まあ、一部の保守論壇の人間のように常用する語ではないが、全く与り知らぬ概念でもなかった、だから誤用した、といったところでしょうか。でも、「文化的進歩人」で検索すると、同じ勘違いをしている人が何人かいるから、ありがちなミステークなのでしょう。ぁぁぁぁぁああああああ、「進歩的文化人」なのか「文化的進歩人」なのか、こんがらがってきた!
まあ、どっちでも良い人種なのは確か。「文化的進歩人」を、彼らを蔑称する語として、今後使わせてもらいます。
特定の日の日記にリンクする場合は、下の過去ログの標題から、該当する日をクリックして下さい。ブラウザのアドレス欄にURLが示されます。(それ以前の日記はこちらから)

 

[ 1296] 歯医者の「痛かったら手を挙げて」に迫る | エキサイトニュース
[引用サイト]  http://www.excite.co.jp/News/bit/00091126630940.html

過去の“放置プレイ”のせいで、すっかり歯医者嫌いになってしまった私。今後は堂々と手を挙げて「痛い」と叫びたいと思います。
「痛かったら言ってくださいね」子どもの頃、歯医者でそう言われ、「口を使えないのに、どうやって言うんだよ!?」と恨みがましく思ったことがある。その後、「痛かったら手を挙げて」に改善されたが、結果は同じ。手を挙げても、「ちょっと痛いけど、ガマンしてね」で片付けられていた。じゃ、挙げさせるなよ。あのセリフにはどんな意味があるのか。もしかして、規則などで決められてるのか。あるいは、歯学部などのマニュアルに書かれているのか。日本歯科医師会に聞いてみると、「特に規則などはありません。いつから始まったかといっても……歯科医が自分の判断で、ごく自然に、ですね」と広報担当者。手を挙げるのは、治療中は口をあいてるので、合図を送る方法が手しかないという理由からだそうだが、「痛いということは、顔をしかめるなどの表情でも普通はわかりますが、お子さんなどの場合、言葉にできず、いきなり治療中に首を振るとか、器具をとろうとすることもあるんです。それは大変危険なので、合図を送ってもらうように言うんです」とのこと。「痛かったら手を挙げて」と言われても、なかなか挙げづらいものだが、実際に手を挙げる人はいるのか。「いや、けっこういますよ。子どもなんかは、削る前から手を挙げてたりします(笑)」そういう子どもに対しての対処法もきちんとあるそうで、「『まだ何もやってないからね。そうやって最初から手を挙げてると、本当に痛いとき、わからなくなっちゃうよ』って言うんです(笑)」まるで狼少年の童話のようです。ところで、手を挙げたら、その後はいったいどうしてくれるのか。私の場合、「ガマンして」と言われるだけだったけど、そんな気遣いならいりません。「患者さんが手を挙げたら、『ごめんなさいね』と言って、いったん中断しますよ。『手を挙げて』と患者さんに言うのは、『痛かったらやめてくれるんだ』という安心感を与えるためでもあるんです。実際、痛かったら、麻酔があまり効いていないということだから、麻酔をもう少し増やすとか、方法を考えます。これは患者さんにとって、とても大事なサインなんですよ」え〜〜〜〜っ! じゃ、私がムシされてたのは、何だったんだ!? 本来はとても重要な意味がある「痛かったら手を挙げて」のセリフ。皆さんも今後、痛いときは見栄を張らずに手を挙げましょう。そして、私のようにムシされたら、中断を要求するのもアリかもしれません。(田幸和歌子)
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[ 1297] ネット発 声を挙げよう blog (仮称)
[引用サイト]  http://aifuru.blog91.fc2.com/

社保庁が大崎市元職員を告発 年金横領問題 自治体職員による年金横領・着服問題で、社会保険庁は12日午後、国民年金保険料約28万円を着服して懲戒免職された宮城県大崎市の元職員を、業務上横領容疑で宮城県警に刑事告発し、その場で受理された。社保庁が市町村職員の保険料着服を告発するのは初めて。宮城社会保険事務局長名で告発した。年金着服:旧田尻町職員保険料着服 「当時社保庁と協議」不告発で市長が会見 /宮城 国民年金保険料28万円余を着服した旧田尻町の元職員を刑事告発しない方針を決めた大崎市の伊藤康志市長は10日の定例会見で、同町が告発しないと決めた01年当時、「社会保険庁側と十分に協議、相談した。同庁は当時の資料を掌握しているはずだ」と述べた。その上で、自治体に代わり告発の準備をしている社保庁から当時の資料提供などの具体的な協力・相談があれば、その時点で対応したいと述べた。 社保庁は舛添要一厚生労働相から告発するよう指示を受け、宮城社会保険事務局の辺見聡局長が9日、同市長を訪問し、必要な協力を求めるあいさつを行っている。同市長は同厚労相との一連の騒動について「自治体の出した(告発しないとの)判断に冷静な検討をいただきたかった。(市の方針に)聞く耳を持たずという対応をするのなら、(当初から)国が直接告発すべきだった。『自治侵害』の不快感を持たざるを得ない」と述べた。年金着服 舛添厚労相と自治体が対立 総務相は困惑 年金保険料の着服問題をめぐり舛添要一厚生労働相と自治体の間がぎくしゃくしている。舛添氏は社会保険庁長官に自治体の着服職員の告発を指示するなど強い姿勢で臨んでいるが、「市町村は社会保険庁より信用ならない」との同氏発言をきっかけに地方には感情的反発が広がっている。板ばさみとなった増田寛也総務相も困惑を隠せずにいる。 市長の気持ちはわかる。着服者発生時に、社会保険庁と協議した上で、不告発を決めたのに、今頃「告発しろ」というのは、ものすごく納得いかないのだろう。多分、自分が市長の立場だったら、同様に考えたと思う。 また、一方の社会保険庁にも、しょうもない職員がいて、「市町村のほうが信用ならない」というのは掛け値がある。舛添さんも言い過ぎといえば、言い過ぎなのだ。 ただし、トータルで言えば、私は、舛添大臣のほうを支持するし、市町村の認識は、やはり甘過ぎると思う。当時告発しなかったのは仕方無い部分もあり、とりたててこれを責めるつもりはないが、様々な問題が知られるようになった今になってもなお、告発しないのは問題だ。 着服の件について、今、何が求められているか。それは当然、「再発防止」である。その具体策の一つとして、厳罰化がある。ドロボーに対してナアナアにせず、きちんと刑事告発をすることは、概ね、国民の理解を得られているものと思う。 問題は、「その刑事告発を、過去の例に遡って行うべきかどうか」だが、これもやはり行うべきだろう。勿論、過去の事件といったって、法律上の限界がある。新たに法律を作って、無制限に過去の事件を告発することなどできっこない。ただ、今出来ることに関しては極力行うべき、というムードにはなっている。今出来ることを行わないで「今後は刑事告発しますよ」では信用されない。全ての案件に対しナアナアにしないのがあるべき姿なのだから、過去の事件も可能な限り、ナアナアにしないことが求められるのだ。 しかし市町村の多くは拒否している。市町村が一旦不告発を決め、独自の制裁を課したからって、それを翻して告発に踏み切るのは、法律上可能だし(ていうか、法律には告発する"義務"が書かれているらしい)、技術的にも困難ではなく、国民からも求められている。 にも関わらず、それをやらないのは、色々と理屈はつけていても、結局は市町村側の面子なのだと思う。しかも、市町村民レベルの面子ではない。あくまで公務員内部(市長や議員を含む)に閉じた面子だ。一旦下した処分に対し、得体の知れぬニュー大臣のパフォーマンスで、それを変更するのは面白くない、というのが本音なのであろう。また告発することにより、そこから直接発生する手間暇、全国規模で報道されることのダメージ、職員に対するスタンスの変更、場合によっては年金以外の着服の発覚など、様々な面で面倒が生じかねない。こういうのも避けたいのであろう。 ただ、着服者は当の市町村の職員であり、結局は市町村の責任なのだから、後でどのように扱われようと、「自治侵害」などと面子丸出しの言い分が通用する立場ではない。 市町村は社会保険庁と摺り合わせをしたというが、残念ながら、そんなこと、新任の異色の大臣にとっては知ったこっちゃないだろうし、国民の多くにとっても同様。現在の社会保険庁がしっかりしているかどうかは分からないが、少なくとも大臣はルーズさから脱却しようと、はりきってはいる。「当時の"ルーズな社会保険庁"との協議」よりも、「現在の"ルーズさから脱却しようとしている社会保険庁"の方針」のほうが、優先さるべきなのは明らか。結局、「当時の"ルーズな社会保険庁"との協議」など、倒産した会社の株券のようなもので、現在は全く無価値になっているのである。 また、ここで、大臣が市町村の言い分を呑んで、「そうでした。当時、社会保険庁と市町村が協議したんでしたね」なんて感じで納得してしまったら、大臣の人の良さは証明できるが、今後の改革については、何にも期待できなくなってしまう。舛添大臣みたいに、挑発的な言い方をするのが良いかは別にして、この程度の不平不満などシカトして先に進めるくらいでなければ、社会保険庁改革など、絵に描いた餅に終わる。 更にいえば、だ。省庁の方針なんて、大臣次第で変わることがあって当然なのである。でなければ、もし「政権交代」が起こった場合も、行政の方針を変えることができず、その意味合いが無くなってしまう。今回は政党間の政権交代ではないが、大臣が変わったし、年金行政の環境も当時とは全く異なっているのだから、やはり方針の転換があって然るべき。過去の問題の対応について変更が求められることも、考慮に入れなければならない。 大臣が変わっても方針が変わらないほうが、市町村にとってはやりやすいのは事実だろう。しかし、そのような現場任せのあり方が、行政の緊張感を揺るがした、という反省がある。舛添大臣みたいに、無用に相手の神経を逆撫でするようなやり方は賛否あるにしても、基本的に対立を恐れるべきではないね。 いくら大臣が市町村に喧嘩を売ったところで、市町村側には何も武器は無い。大臣に抗議するのが関の山で、「もう保険料は集めません」なんて、実力行使などできっこない。市町村側に同情的な意見なんて一握り。どんどん対立すればよい。トップさえ強く出れば、技術的な障害が無い限り、下は動かざるを得ないのだから。あの相撲協会でさえ、ね。 読売の社説。 年金横領告発 甘い処分の総点検が必要だ この社説に100%同意する。 今、舛添大臣は、当時の社会保険庁や市町村の職員を攻撃して得点を稼いでいるが、今年5〜6月、安倍首相をはじめとする自民党・公明党は、菅直人元厚生大臣を攻撃して、ブーイングを喰らった。過去の他人を攻撃しているのは同じなのに、評価が逆になっているのはどういうことだろう。 「過去の他人を攻撃する」こと自体は、悪いことではない。首相や大臣本人に直接責任は無いんだし、もしこれが許されないとなると、(先にも言ったが)政権交代など絵に描いた餅になってしまう。 だから、「過去の他人を攻撃した」そのこと自体は問題でないのである。ただ、安倍首相は、どこか勘所を外していた。それは何だろうか? 以下、考え中。
性差を超えたエンタメ人気 社会モラル崩壊の象徴? 性差を超えたエンターテインメントが世界的なブームだ。日本では中性的な男性タレントが大挙して出演するテレビ番組や、女性歌手のヒット曲を男性歌手がカバーした企画盤が人気を獲得。米ハリウッドでは男優が太った中年女性、女優が男性ロック歌手を演じ話題だが、「テレビ文化がけじめなき社会を作り上げた証明」と批判する専門家もいる。(岡田敏一) 流行語「どんだけ〜」の生みの親で知られる美容界のカリスマ、IKKOさんや、華道家、假屋崎省吾さんら大勢の中性的な男性タレントが、最新ファッションや美容、グルメ情報などを紹介する日本テレビ系のバラエティ番組「超未来型カリスマSHOW おネエ★MANS」。(略) こうしたブームについて、松浦亜弥さんのものまねなどで人気のタレント、前田健さんは「歌舞伎や宝塚歌劇のように日本では男が女を演じる文化があるが、最近のブームは女性受けを狙ったもの。今の芸能界では女性の人気を獲得しなければスターになれないですから」と分析する。 一方、メディアの変遷などに詳しい東海大学文学部広報メディア学科の時野谷浩(ときのや・ひろし)教授は「テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。社会秩序を破壊している」と批判的に見ている。 確かに最近は、男性の中性化・女性化が目立つのは事実。ただ、最後の時野谷さんの「テレビの登場以前は社会のモラルが明確だった。男は男らしく、女は女らしかった。そのけじめを壊したのがテレビ文化。社会秩序を破壊している」というコメントは、あまりに紋切り型である。 社会のモラルなんて、崩れては構築され、崩れては構築され、の繰り返しなんでない?それに、テレビに社会モラルを壊すまでの力ってあるのかな。もともと社会モラルがぐらついている所を、狙って壊しにいくのがテレビなのであって、視聴者の潜在的な支持の無いところに、テレビが何をどう煽ったって、どうにもなりゃしない。 話を、男性の中性化・女性化に戻そう。 上の記事では、本格的に中性を狙った人物しか採りあげられていない。しかし考えてみれば、随分と昔から、若い男性のルックス理想像は、女性的なものになっているのではないだろうか。 例えば、ジャニーズとか、「お母さんといっしょ」で子供よりもお母さんから大人気だった弘道おにいさん。いわゆる「男らしさ」とは無縁のルックスをしている。それは、彼らが、とりたてて女性化とか中性化を狙っているから、というわけではない。間違いなく彼らは、見かけも中身も男性である。ただ、彼らには「おとこおとこした雰囲気」というものが無いのである。 そういう意味では、「男性の中性化」というよりは、「男性性の稀薄化」というほうが正しいか。何れにせよ、「おとこおとこした雰囲気」は「マッチョ」として嫌われるのである。 そういう下地は、かなり昔からあった。私の知る限り、古いところでは舟木一夫あたり。時代の制約から、現代ほど過激ではないけれども、悪く言えば「女々しい」。少なくとも、男らしさよりは、女性的な柔和さで売るタイプであり、石原裕次郎のワイルドさとは方向性が逆なのではないか、と思う。 こういうのは、特に若者系・アイドル系で見られ、時代を下るほど顕著となる。郷ひろみなんかも、可愛いもんだった(これとか)。男性の中性化、あるいは男性性の稀薄化というのは、別に今にはじまったことではないのである。最近は、それらが更に進んで、ニューハーフ的なものが増えてきてはいるが、それはある日突然にそうなったのではなく、何十年も前から、そういうのが流行る下地は出来ていたのである。※ちなみに、おすぎとピーコ系は、キワモノで売っている感じなので、ここでいう女性化・中性化には当てはまらない。 で、時野谷さんのコメントに戻るけど、女性的な男性が流行るのは、別にテレビが流行らせているのではなくて、時代が「中性・女性的な男性」を求めているんですよ。「おとこおとこした」「汗臭い」「マッチョな」男なんて、いくらテレビでやってもキワモノ扱いされるだけです。いくらテレビでも、プロデューサーは打ち切りになるのが怖いから、「男性的な男」に時間を割くことはしないんです。 では、何故、「おとこおとこした男」は人気ないのか。 それは分からん。ただ、現代は、男性が男性らしくあることに、大した利点が無いのは確か。仮に「女性を守る」のが男性の仕事だったとしても、女性を守る最大の武器は「腕っ節の強さ」ではなくて「金」なのです。で、その「金」で何をやるかっていうと、女の子と食事をしたり、映画を見にいったり。「男性らしさ」の出る幕など、せいぜいスポーツをする時くらいですかね。 それどころか、「男性らしさ」とは、太古の「獣時代の記憶」であるから、文明社会でスマートに暮らそうとすると、かえって邪魔になりかねないもの。あれやこれやで、「おとこおとこした男」が、その本来のあり方で賞賛されるようになるのは、当分先ではないでしょうか。 かくいう私も、実は、女性的・中性的にイメチェンしてしまった。別に、テレビのアイドル並になろうとしているわけではないが、人生一度でいいから、女性的な外見になってみたいと思ってしまったのだ。正確にいえば、かなり昔から思っていたが、それを実行に移したのが最近、というわけ。やはり、そういう変なことができるのも若いうちだけだから、最後のチャンスと思って。 髪の毛は、一番下が肩につくくらいになった。スキンケアは欠かさない(スキンケアは一般男性にもオススメしたい)。ヒゲもレーザー脱毛で処分。眉毛も細めはカット。時にはリップグロスなども。 ちょっと私の場合はやり過ぎだが、自分の別の側面を発掘できたようで、非常に満足していたりする。他人の目は厳しいけど。
最近、平日の昼間、家にいることが多いもんで(代わりに夜間とか休日が仕事)、ワイドショー、テレビショッピング(ジャパネットたかたがお気に入り)、地域局のアニメ再放送(トムソーヤの冒険とハクション大魔王)などをよく見ます。 この前、ハクション大魔王に洗濯機が出てきましたが、これが相当な時代モノ。そこには脱水のためのローラーがついておりました。このローラーで脱水すると、せっかく洗った衣類がシワシワになり、もう一度洗濯しなくてはならなくなるんだよ、と懐かしく私に語ってくれた女性もいました。いつごろ洗濯機って生まれたのかな? 昔の洗濯機には、今から考えるとちょっとおもしろいものが取り付けられていたんだよ。2本のローラーで洗濯物をはさんで、ぎゅーっと水を絞(しぼ)るんだ。ハンドルを回すとローラーが回る仕組みで、結構力がいったんだけど、当時は随分(ずいぶん)便利だと評判(ひょうばん)だった。 ハクション大魔王という漫画が、結構古い時代のものであることが、この洗濯機から分かるのですが、たとい機種としては古いものでも、カンちゃんの家に当たり前のように存在していることから、高度経済成長時代を遡らないことも分かるのです。 wikipediaによれば、ハクション大魔王は、1969年10月5日から1970年9月27日まで(昭和44〜45年)の放映だそうです。私が子供の頃見ていたのは再放送だったもよう。ものすごい大人気アニメというわけでもないのに、地味に再放送が繰り返されたのは何故だろう? ハクション大魔王の話になってしまったが、これは本題ではない。今、最もワイドショーでアツいネタ。それは、あの「時津風問題」である。このネタは、6月くらいから存在しており、報道もされていた。遺体には「根性焼き」の跡があったといい、単なる病死とは思えないので、私は結構注目していた。しかし、当時は新聞の片隅にちょっと乗ったくらいで、早々に世間からは忘れられてしまった。 この話題が再び盛り上がるのは、父親が悲痛なる記者会見をして以降だろう。それまでの間、死者の家族が行政解剖を依頼したり、親方からアクセスがあったりして、材料は揃っていた。そして、それらの材料をもとに、序の口力士一人の死亡とは思えないほど、世論はヒートアップ。とうとう時津風親方は解雇となった。 時津風部屋はいうまでもなく、不世出の大横綱・双葉山が現役時代に開いた「双葉山道場」が、直接のルーツである。現時津風親方は、元双津竜。この四股名は、双葉山から一字をとったものであろう。 私は、最近相撲を見ていないけど、以前は結構好きで、様々な力士伝を読んでいた。なかでも、最も感銘をうけ、個人的に最強と思った力士が双葉山である(※)。だから、今回の騒動のような形で、時津風の名に傷がついてしまう(下手すると部屋廃絶)ことは、まことに残念でならない。※江戸明治には双葉山を上回る勝率9割の力士がゴロゴロいた。しかし、当時は、優勝制度が無く、分け預かりで勝負がつかぬ土俵も多かった。そんな牧歌的時代にある彼らが、勝負にシビアで、実力伯仲の中を勝ち抜いてきた昭和以降の力士に勝てるとは思えない。大正の太刀山・栃木山くらいなら、双葉山より強い可能性も大きいが。 金属バット。竹刀は、もともと人間を叩くために作られているから比較的安全だし、気合を入れるには、ある程度必要なものだろう。しかし金属バットは、野球の硬い球を叩くために作られたものであり、人間を叩くことは想定されていない。 そういう危険なものが部屋にあったのは、一体、何故なのだろうか。当blogの読者で、どれくらいの人が、金属バットを自宅に備えているだろうか。本人or子供が野球をやっているのでない限り、金属バットが、家にある蓋然性は極めて低いのではなかろうか。もし時津風部屋に、金属バットだけがあって、グローブや球が無いというのなら、その金属バットは、野球以外の用途を目的としている、と思われても仕方があるまい。 現・時津風親方は、自分は「死ぬほどの暴行は加えていない」といって、必死に釈明していた。その釈明が嘘だと、警察ならぬ素人が証明するのは難しい。しかし、「何故、部屋に金属バットがあったのか」という根本的な疑問に明確な答えが与えられない限り、時津風親方の言うことは信用されないないだろう。何せ、ビール瓶の件で、一度ごまかしているのだから。 さて、現役力士の死亡は、当然のことながら今回がはじめてではない。時津風部屋以外にも例があり、多くは未成年である。昭和62年以降・現役で死亡した力士 死亡年月/四股名/年齢/部屋/最高位/死因 S62・4/若鬼竜/16/時津風/三段目/虚血性心不全 元・10/榎田/18/高砂/序二段/急性白血病 2・2/龍興山/22/出羽海/前頭5/虚血性心不全 2・7/近村/19/九重/序二段/急性心不全 4・2/大威力/18/朝日山/序二段/心不全 4・3/琴干場/24/佐渡ヶ嶽/三段目/肥大型心筋症 4・7/魁士/15/放駒/序ノ口/心筋梗塞 8・10/若藤光/25/宮城野/三段目/心不全 10・3/剣晃/30/高田川/小結/肺出血 15・7/前田/15/北の湖/序ノ口/拡張性心筋症 16・8/吉村/17/田子ノ浦/三段目/多臓器不全 16・10/中渕/32/貴乃花/幕下/虚血性心不全 19・6/時太山/17/時津風/序ノ口/急性心不全 ※注 これは、あるワイドショーで示された図表をテキストに起こしたもの。テキスト自体はネットからとってきたものだが、私は、ソースのワイドショーを見て確認している。 しかし、これまで、現役力士の死亡というものは、あまり大きく取り扱われてこなかった(昭和40年代の玉の海のような大力士は別として)。今回、序の口力士の死亡が、ここまで話が大きくなったのは、あまりに遺体の傷跡がすさまじく、スキャンダルの様相を帯びてきたからであろう。 しかし、死因が、暴行ではなく、ただの「厳しい稽古」であったとしても、現役力士、特に一人前とはみなされない幕下以下の力士が死ぬことを、そんなに軽く扱ってもよいのかな、という気がする。 テレビを見ていると、多くの人は、「けいこの範囲を逸脱した暴力だからいけない」と言う。しかし、けいこだろうが暴行だろうが、「親方の管理のもとで亡くなった」という構造には変わりがない。自分で稽古の裁量を持てる関取は別にして、幕下以下、特に序二段・序の口あたりは、体もまだ出来上がっていないなか、親方や兄弟子に言われるがままの稽古をするしかない。そういう状況で、弟子が死んだとなれば、親方の責任はもっと問われてしかるべきなのではないか(交通事故などは別だが)。例えば、高校野球で、部員が過酷な練習で一人でも死亡した、となれば、そこに暴行が加わっていなくとも、学校や顧問の責任が、問われるに違いない。 それに、死亡率も異常である。老人ホームじゃあるまいし、千人足らずの若者集団が、上で挙げたような割合で死亡しているのである。読者の方は、御自分が通っていた高校を思い出されるとよい。どこの世界に、1〜2年に一人のペースで、生徒が病死する高校があるというのか。 結局、角界は「相撲という厳しい世界だから、死者が出るのは仕方が無い」と何となく思ってしまっているのではなかろうか。体重百キロ超の格闘技をする人間達の集団であるから、本当は通常のスポーツ以上に、生命や健康の維持管理が大切なのにも関わらず、そこら辺は、部屋や親方任せになってしまっているのではないだろうか? もちろん、力士の生命管理・健康管理をちゃんと行っている部屋も多いだろう。しかし、時津風部屋のような部屋もある。そして全体的には、力士の生命を守ることに対し無頓着な雰囲気があると思う(でなければ、3人が連続して亡くなった平成元〜2年、平成4年、平成15〜16年あたりに、協会で問題にされるはず)。 そういう雰囲気があるからこそ、厳しさと暴行を勘違いする者も出てくる。彼らが暴走した場合、そこに歯止めがかからなくて、死者が出ることもありえる。そこまでいかなくとも、あまり健康管理に気を遣わない状態で、稽古を厳しくしすぎ、ある日死んでしまう。厳しさと暴行は別物ではなく、連続したもの、あるいは突然変異などと捉えたほうがよいと思う。 今後、相撲協会は、部屋における暴行を根絶する努力をするのは当然にしても、もっと「力士の生命を守る」という視点を持って欲しいものだ。体重百キロの格闘技をする人間の健康診断が、年2回では少なすぎる。公のものだけでも場所ごとに行い、体調が悪い者は本場所には出さない。また、各部屋は、かかりつけの医師と綿密に意思疎通を行い、特に新弟子と30歳以上は、毎週のように診断を行い、身体に過剰な負担がかかっていないかチェック。土俵の構造も、怪我がしにくくなるよう見直す。稽古のあり方、そして「厳しさ」というものを見直し、精神論的なものは排除する。 ありきたりの結論になってしまうのかもしれないが、力士の健康や生命というものは、決して部屋や親方任せにせず、協会が主体的に取り組んで欲しいものである。

 

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