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ボームとは?/ マイワン

[ 1757] デヴィッド・ボーム - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0

第二次世界大戦の間、マンハッタン計画は初の原子爆弾の製作のために、バークレイの物理学研究を活用した。オッペンハイマーは、1942年に軍司令官レスリー・グローブスによって原子爆弾計画のために設置されたトップシークレットの研究所ロスアラモスにボームを誘った。しかし、ボームがすでに政治活動から抜けていたにもかかわらず、彼の友人であるジョセフ・ワインバーグにスパイ(諜報活動)の疑義がかけられていたことから、研究所のセキュリティ基準をクリアできなかった。
ボームはバークレイに残り1943年に博士号を得るまで物理学を教えていた。しかし皮肉なことに、彼が確立した(陽子と重陽子の衝突における)散乱計算がマンハッタン計画に非常に有用であることがわかった途端、彼は研究所に登用された。セキュリティ確認も無いままに、ボームは彼自身の業績にアクセスすることが禁じられ、彼の論文の公開が妨げられるだけではなく、そもそも彼自身が論文を書くこと自体が禁じられたのである! 大学側を満足させるために、オッペンハイマーは彼が成功裏に研究を完了したことを保証した。そして彼は、オークリッジ のY-12施設で濃縮ウランを得るための同位体分離装置(カルトロン)について理論計算を実施し、その濃縮ウランは1945年に広島に投下された原子爆弾に用いられることとなる。
ボームは早い時期に、物理学、特に量子力学や相対性理論において数々の顕著な業績を挙げていた。さらに、バークレーでの大学院生時代には、プラズマの理論を発達させ、ボーム拡散として知られる電子現象を発見した。彼の最初の著書Quantum Theory は1951年に刊行され、アインシュタインやその他の研究者に好意的に受け入れられた。しかし、ボームはその著書に記したようなオーソドックスな量子力学へのアプローチに満足できなくなり、彼ならではのアプローチであるボーム解釈を発展させた。その予想は、後に非決定的量子理論として完璧に受け入れられることとなる。彼の研究とEPRパラドックスは、ジョン・スチュワート・ベルによるベルの不等式の研究を促す主要因となった。
ボームは人類や人生全般に対して深い懸念を抱くに至り、人間や自然のアンバランスのみならず、人どうしの間でのアンバランスについて考え警告した。
そして、『人類に起こっていることを考えてみよう。技術は進化を続け、平和利用にも破壊に使われるにしても、どんどん大きな力を持つようになった。』『これらのトラブルの根源は何か? その源泉は基本的に思考の中にある、と私は考える。』と述べるに至った。

 

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