分類とは?/ マイワン
[ 1601] 生物の分類 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E
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判明している生物の種は、300万〜1,000万種である。それぞれの種には学名(属名+種名)がつけられる。学名の前半は属名で、属とはごく類縁関係が近い種をまとめたものである。これらを分類してその分類グループに分類名をつけることが行われている。さらにこの分類を階層的に(小分類>中分類>大分類etc)体系付けすることで、いろいろな生物グループ同士の類縁関係、ひいては進化の系譜を明らかにしようとする。 分類学は、それぞれの時代において、その当時までに判明した情報に基づいてできるだけ納得の出来るような分類の体系を模索し続けてきた。リンネの時代には形態を中心に、顕微鏡が使われるようになればそこから得られる情報をも利用し、生化学が発達すれば色素なども利用し、常にできるだけ納得のいく体系が探し求められた。そのため、分類体系は時代と共に変化しつつ、次第に正しい姿に近づいているものと考えられる。二〇世紀末には遺伝子そのものを参照する分子遺伝学の手法が取り入れられ、多くの分類群において大きな見直しが迫られている。したがって、このような体系は今後も変更を余儀なくされることがままあるはずである。 しかしながら、それぞれの時点において、どれかの体系を採用しなければ文章は作れない。そのため、Wikipediaはそれぞれの群で特定の体系を採用している。したがって、その記述が他の書籍等と異なる場合があること、どちらが正しいかの議論が困難な場合があることを記しておく。 どのような分類体系が合理的かは、アリストテレス以来さまざまな工夫がされ、案が出されてきた。 彼の『動物の発生』では動物分類は次のようになる。 リンネは種の学名に二名法(属名と種小名の2語の表す)を採用し、分類を体系づけた。 また、属・種の上位分類として、綱・目を設けて、階層的な分類体系とした。 現在の生物分類でもこのルールは変わっていないが。リンネの時代に比べると階層構造はより多段階となっている(後述)。 しかしリンネの分類自体が現在もそのまま生きているわけではない。例えば、リンネはクジラを魚類に分類していたがこれは誤りであった。 また植物をおしべの本数を元に分類したことは有名だが、現在の植物分類ではこの分類手法は捨てられている。 また、リンネの時代には「進化」の概念がなかったため、リンネの分類はあくまでも形態の類似異同の差異による操作に限られる限界があった。 ※ 分類体系はこれまでに述べたように、あくまでも人が扱いやすくするための人為的なものである側面があることに注意すること。 ※ 近年では、さまざまな分野で伝統的な分類体系を系統学の知見を反映させた体系に組替える動きが盛んである。 属より上位の分類名には、植物・藻類・菌類については国際植物命名規約、動物では国際動物命名規約で定められた規則的な接尾辞が付けられている。 生物分類の階層構造の最上位は界(Kingdom)である。 この界は古代から伝統的に二界(植物界、動物界)に分けられてきたが、近代に微生物の知見が高まってくると、三界、五界、八界に分ける説などが登場してきた。 リンネが定めた分類法で生物を動物界(動いて餌を採るもの)、と植物界(動物ではないもの)の2界に分類したものである。 1980年代に入ると分岐分類学が優勢となり、動物界・植物界・菌界はそれぞれより狭義的な分類がふさわしいと考えられるようになる。1982年、マーグリスによって、それまで植物と考えられたすべての藻類、および菌類と考えられた粘菌類、卵菌類を原生生物界へと移す提案がなされた。これにより現在に至る五界説の骨格がほぼ決定した。 五界説のモネラ界をさらに細胞の特性で細菌界、古細菌界に分けたもの。1977年にカール・ウーズが提唱した。 五界説における原生生物というくくりは、植物、菌、動物ではない「その他」的なくくりであって、分類群としては非常に雑多であるという面がある。 これに手をつけたのが、キャバリエ=スミスである。彼は、原生生物界をクロミスタ界、アーケゾア界、原生動物界に3分し、八界説を提唱した。それぞれ、クロミスタ界はワカメ等の褐藻植物を含む黄色植物やハプト藻類、クリプト藻類などの生物、アーケゾア界はミトコンドリアを持たない生物、原生動物界は動物的単細胞由来のもののうち胚分割しない生物、という分類になる。これによれば、生物は古細菌界、真正細菌界、アーケゾア界、原生動物界、クロミスタ界、植物界、菌界、動物界に分類される。 しかし、しばらくすると、ミトコンドリアを持たない生物はもともと持っていなかったものに加え、退化的にミトコンドリアを喪失したものもあることが指摘され、アーケゾア界というくくりに意義がなくなってきた。 最近では、さらに新しい界相当の分類方法として、アメーボゾア、リザリア、オピストコンタ、アーケプラスチダ、クロムアルベオラータ、エクスカバータ、といった真核生物の6分類方式が、国際原生動物学会より提出されている(2005年)。ウィキペディアの項目でも、これらを界として採用する場合が多くなっている。 これは、DNAデータの分子系統解析によって、(動物界、植物界、原生生物界などが含まれる)真核生物、(真正)細菌、古細菌として分ける説である。この分類は、各グループのの細胞の構成や化学組成の違いとも合致する。 20世紀後半から勃興した、タンパク質のアミノ酸配列や核酸の塩基配列決定法の技術、そしてそのデータを用いて系統の類縁関係を推定する解析手法の進展に伴って、従来の生物系統分類法は大きな変革を迫られている。特に、これまで他のグループに所属させることができないために一括りに分類されていた、原生生物や藻類、一部の菌類につき系統が大幅に見直されつつある。学問上は二界説ないし五界説は既に瓦解したと言っても過言ではない。ここではキャヴァリエ=スミス(Thomas Cavalier-Smith)らが中心となって提唱している分子系統学的分類の一例を示す(ただし現生生物のみ)。従来の界、門、綱との整合性は今後の課題である。この分野は現在さらに進展しつつあるため、今後も大小の変更があり得る。 |
[ 1602] 血液型性格分類 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
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血液型性格分類(けつえきがたせいかくぶんるい)とは、血液型と人の性格との間に特定の関連性を見出し、性格を分類しようとすること、およびそのような分類が可能であるとする説。 狭義にはABO式血液型による分類を指すが、白血球型なども含めた血液型全般による分類を指すこともある。[1] 当初は日本人の医学者、教育学者、心理学者などにより学説として研究されたが、その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、紆余曲折を経た後、学会で否定された[2]。 だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや近年日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じているかのような言説が増えた。それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出すコンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。 血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、そのような関連を裏付けるような統計データは得られてはいない。 科学的な根拠が存在しない仮説であるにも関らず、一部の人達の間で科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つに数えられる[3]。 また、社会心理学では、血液型気質相関説をとりあげ、このような説が社会に流布してしまう仕組みや、このような説が流布することによって人々の認知にどのようなひずみが生じるのか研究している論文などが活発に書かれている。 こうした学問の世界での検証結果や研究成果はなかなか一般世間には伝わっておらず、最近までテレビ番組等のマスメディアにおいて話題としてさかんに用いられていた。また、今でも世間ではABO式血液型と性格を関連付けて語る事が一時の興として行われていたりする。だが、これらは不当な偏見や差別その他の様々な問題を生む要因を孕んでいるとして、問題視されている。 昭和初期になって、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であった教育学者古川竹二による一連の研究が広く注目を浴びた。 古川の最初の論文は、1927年に『心理学研究』誌上に発表された「血液型による気質の研究」で[5]、その後に研究の集大成として1932年に『血液型と気質』が出版された。同書の内容が古川学説とされることが多い。主な手法は、ABO式血液型別の質問項目(自省表)をそれぞれ10項目程度ずつ作成し、質問紙法により血液型との一致率を測定するものである。古川自身によると、自省表は80%以上の一致率があるとされた。これとは別に、職業別にABO式血液型分布を調査し、職業特性と比較したりした[6][7] 古川学説は、当時金沢医科大学教授であった古畑種基らに支持され、心理学だけではなく、医学、教育など多くの分野で注目を集め、その影響下に多くの論文が書かれた[8]。このため数多くの追試が行われたが、例外が多過ぎるため古畑も懐疑的になり、結局、当時の学会でも否定された。 大日本帝国陸軍においても上記の影響を受け、血液型から将兵の気質・能力を分類する事で、部隊編成の際に最も適した兵科・任務にあてる事ができるとの考えから、各部隊から将兵の調書を集め研究が行われたが、期待した結果は全く得られなかった。また、戦時大量動員の際に一人ひとり血液型を検査・分類するのは不可能に近かったため、結局は採用されずに終わった[要出典]。 第二次大戦後は長らく取り上げられることがなかったが、1971年に能見正比古(姉が古川の教え子であった)が古川の研究を引用し、学会向けの論文ではなく、『血液型でわかる相性』[9]等一連の世間向けの著作を発表・出版。これにによって世間に広く知られるようになった(この本で説を根拠づけるために能見正比古は様々な調査の数値挙げていたのだが、学者らの多くの追検証の結果、そもそもその数値の大半がおそらくデタラメなものであったのだろうと、現在では考えられている[10])。さらに、能見正比古の没後は息子の能見俊賢が、父親の研究を元に、さらに新たな自説を付けたし、多くの著書を出版した[11] 古川竹二や能見親子などの研究内容や主張には科学的・統計的に見て実証性や再現性がなかったが、さらに近年の実証的研究によっても彼らの主張を裏付けるデータは得られていない。 この記事の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。 テレビ番組は、頻繁に血液型気質相関説を紹介していた。例えば上村晃弘らの調査によると、地上アナログ放送では2004年2月21日からの一年間だけでも、約70本もの血液型性格関連説に関するTV番組が放映されたという[15] その後、科学的根拠が立証されていない疑似科学を事実のように決め付けて放送することに対して人々からの批判が強まった。2004年には放送倫理・番組向上機構(BPO)より勧告が出され、2005年2月より同種の番組は減少している。以後は、血液型性格分類を真実であるかのように扱った番組は抑制される傾向にある。また、いくつかの番組で血液型性格分類に否定的な内容も放送している。 1985年、シンガー・ソングライターのさだまさしによるヒット曲「恋愛症候群」(及び同年の「もーひとつの恋愛症候群」)では恋愛感情を血液型で分析した歌詞が話題となった。 2002年、大学入試センター試験の「現代社会」の設問において、下記の大村政男による血液型性格分類についての調査結果が資料問題として使われたことがある(バーナム効果を示す調査)。 脳にはABO血液型物質は存在しないが、弱い抗原抗体反応は起こるため、なんらかの類似物質が脳に存在する[19]可能性は否定できないという説もあるが、推測の域を出ない。 白血球のHLA型により罹患しやすい疾病はあることが知られており、ABO型においても罹患しやすい「病気」に影響があるとの報告は多数あるが、その多くは再現性がなく、胃腸管に関するいくつかの形質との間に弱い相関関係が認められること以外は、信頼できないとされる[20]。 前出の「血液型別ダイエット」もこの一環で提唱されたものであり、決して性格の違いを問うものではない。この考え方が正しいとすれば、血液型はまず体質に影響を及ぼし、次いで体質が性格や人格形成に影響を及ぼすものであると考えられなくはないと主張するものもいる。 心理学の分野において、血液型と性格(パーソナリティ)との関連について、一部の人々の間で流布しているようなステレオタイプ的関連性は確認されていないという事実がある。 様々な研究結果で血液型とパーソナリティの明確な関連性があるという結果が出なかったため、「血液型と性格に関係はほとんどない」というのが心理学の分野での常識になっている。 パーソナリティの類型論(体型など、本来パーソナリティとは関係ない要素をパーソナリティと結びつけようとする理論)の誤りの事例のひとつとして、心理学教育の場で血液型性格判断が紹介されることが少なくない。 テレビや雑誌などの媒体で、統計の素人(テレビのスタッフやライターなど)が少人数対象の調査などを行って、多少の統計的なブレをとらえて、"関連性が出た"、と短絡的に強引に結論を出すことが時々あった。それを聞かされて(読まされて)、実際に関連性があるのだと思い込んだ(思い込まされた)一般人も多かった。 だが、統計調査を行う時は、母集団の数を十分確保することと、母集団を偏り(バイアス)なく選定することが理想であり、それができない場合には(通常、できないのだが)安易に結論は得られないことは当然のことである。 TVなどで時折流される血液型性格分類の"調査"とされるものは、前提となるデータ自体が、有意な統計とは呼べない、少人数を相手にしたものであったり、極端に被験者の性質が偏っていたり、単なる局地的アンケート調査であったり、すでに血液型の類型の概念がひどく刷り込まれた人で、なおかつ設問が(バイアスが入り込みやすい)不適切なものだったりした。 学者による、十分な数の母集団で、十分管理された統計においては、複数年にわたって特定の血液型と特定の性格に明確な関連性を示すデータが得られたことはない。[21] また、能見親子のデータの収集は、能見の著書『血液型でわかる相性』の読書カードを送り返してきた人だけを対象に行ったものだと息子の俊賢が語っており、それでは最初から母集団に大きなバイアスがかかっており、その集団に対して、バイアスがかかっていないのを前提とした通常の統計法を用いたこと自体が間違っていたのだ、と村上宣寛は指摘している[22]。血液型性格分類は、この点について、第三者による追試・査読を経て有意な関係性を証明できた事は今のところはない、というのが常識である。 同じ血液型の人でも様々な体質に分かれるものであり、仮に「筋肉質な人にA型が多い」という統計学的な「傾向」を発見することはできたとしても、そこから「A型以外の人は筋肉がつきにくい」と結論づけるのは論理の飛躍であり、血液型≒性格という結びつけはできない。 能見の説が学術の体を為していないという批判も存在する。特定の血液型に偏った人口構成になっている各国と比べて、4種類の血液型いずれもが一定数の割合を占めているアジア諸国の方が多様な性格の人で構成されているなどというデータも存在せず、まだまだ血液型と気質の間に特定の関連性を発見することはできていない。心理学的見地からも「血液型と性格に科学的因果関係は発見できていない」ということが常識[23]とされている。 性格分類の肯定者の中には「血液型による性格分類は根拠がないという立証はされていない」(ゆえに間違いではない)といった理屈を述べる人もいた。テレビ番組制作側も、こうした意見を後ろ盾に血液型性格分類を扱う番組を作っていたこともある。実際、BPOへの苦情に対し、一部のテレビ局はそのような趣旨の回答をしていた。 だが、「根拠がないという証拠はない → 間違いではない」という推論は誤謬である[24]。要は、検証されていない情報、単なる憶測を、そういういいかげんな情報にすぎない、ということを明示せず、まるで確定した事実であるかのような表現でメディアが流していたことが問題だ、と心ある多くの視聴者からは判断されている。 骨髄移植によって血液がドナーのものに変わった時に、性格または気質に明確な変化があるのかといった問題もある。4類型するための性格についての基準が何かなどに関しても極めて問題が多い。相手の血液型に対して事前に情報を得て、相手を知った錯覚に陥った場合、適切な人間関係を構築する上で障害となる可能性もある。 血液型性格分類についての論争は、1970年代から現在まで続いており、従来は心理学や医学的な見地からの反対論がほとんどであったが、最近は大脳生理学や遺伝子工学的な見地による賛成論もある。一般の話題になることから、マスメディアにもたびたび取り上げられ、賛成、反対それぞれの立場から何度も実験が行われている。現在、まだ両者に特定の関係が学術的に明確な根拠を伴って立証されておらず、「現状では、特定の関連は知られていない」というのが穏当な結論である。 ABO式血液型と性格の間に明確な関係は見られない、という多くの結果を踏まえて、社会心理学[31]では近年、血液型気質相関説を研究の題材としてとりあげ、このような説が社会に流布する仕組みや、このような説が流布することによって人の認知にどのようなひずみが生じるのか、あるいは血液型相関説を「信じているように振舞う人の動機は何か」といった角度から研究されており、論文が多数書かれている(因みに、そのような研究をするために、念のためにABO式血液型と性格の間に関連が有るかを、あらためて実際に被験者を選び統計をとり検証することもあるが、そこでも両者には明確な関連は見られていない)。近年では、「血液型」および「性格」という言葉がタイトルに含まれる論文では、こういった社会心理学側からの論文が主流になりつつある。 ^ 2006年3月、田崎晴明・学習院大教授(統計物理学)の提案により、血液型性格分類なども含めて「科学的に見える非科学」にどう対応すべきか考えるシンポジウムが日本物理学会(佐藤勝彦会長)によって愛媛大学(松山市)で開かれた。 ^ 脚注: 原来復(1882-1922)はドイツに留学しデュンゲルン博士のもとで学んだ。当時のドイツを含むヨーロッパでは優生学(人間を遺伝によって選別しようという人種差別的発想を多く含む学問や疑似科学類)が大きな影響力を持っており、その優生学の根拠づけに血液型も利用されようとしていた。「ヨーロッパ人は血液型が...型だから優秀なのだ。アジア人は血液型が....型だから劣るのだ」といったような説明(現在の水準で見れば間違った説明)などがまことしやかに学説として唱えられていた(出典:松田薫『血液型と性格の社会史』、大村政男『血液型と性格』など) そのような時代背景のもとで原来復は生きていた。 ^ 後に多くの学者らが、ABO血液型と性格の相関関係を検証するために、わざわざ新たに被験者を選び調査をし統計をとり統計学的に分析しているが、毎度、統計的には有意差が出ないのである。この仮説(つまり、「ABO血液型と性格の間に彼らが具体的に主張した特定の関連性」について)は棄却されるのが妥当だということである。 ^ 脚注:能見俊賢はマスコミにもしばしば登場する第一人者的な存在となっていた。これら能身親子による著書には、その科学的態度に対して批判の声がある ^ 脚注: ダダモは自然療法医であり、この書物は厳密で学術的な検証を経た書物ではなく、一般世間向けに書かれたダイエット本である。同書は1998年には翻訳本として日本にも上陸した。 ^ 特にヨーロッパでは、「A型は優秀」・「B型は劣勢」といった論文が多数発表されていた 事実があるため、血液型というもので性格を判断するといった風習がないのではないか[要出典]と考えられる。 外国人は自分の血液型を知らないというのは嘘に近いもので、外国の軍隊ではドックタグに、ABO式とRH式の が刻まれている。1999年代に大流行した血液型ダイエットや献血などで自分の血液型を知る機会がある ^ 脚注: 小説「ブラッドタイプ」について。白血病の女性が骨髄移植により血液型がB型に変わるのを嫌い(骨髄移植は白血球抗原(HLA)型の一致が必要とされるため、赤血球の型であるABO式の血液型より優先される)、輸血を拒否し生命の危機に陥るなど、迷信に基づく騒動が頻出、臨床心理士らがその非科学性をどう証明し混乱を鎮めるか、というストーリーである。 この小説を執筆する前に、「究極の血液型心理診査」という血液型性格診断を行うウェブサイトを立ち上げて、それをのべ450万人が利用し、診断後にこのサイトの血液型診断が当たっているのかという問いに対して、9割以上の利用者が「この血液型性格診断は当たっている」と答えた。だが、後に松岡がこのウェブサイトについての仕掛けを公表し、この血液型性格診断のサイトは心理診断は行っているものの血液型の問いに関する分析はプログラム上で全く行っていないことを明らかにした。 ^ ある年度だけ見ると、わずかに相関があるかのようなデータも含まれることもまれにあるが、同一調査を4年、5年に渡っておこなうと、反対の向きの相関を示すかのようなデータも得られるのである。つまり、単なる統計的な偏差である。もし毎年毎年、5年でも10年でもコンスタントに一定方向の相関が見られるならば、それを相関があると言うのだが、そのようなデータは得られていない。 ^ 血液型性格判断をやめよう - 広島修道大学人文学部助教授 中西大輔氏のページ。血液型性格判断の持つ問題点や差別性が心理学者の立場から詳説されている。 ^ 脚注:学者らからは、詭弁の一種だと判断されている。「根拠がないという証拠はない → これは真偽不明の情報だ、これは仮説にすぎない、間違っている可能性がある」ならば論理的である。「間違いではない」としてしまうのは論理的な誤謬、もしくは相手を煙にまくための詭弁である。 ^ 究極の血液型心理検査 - じつは判断結果はランダム表示されるだけのものだが、常時9割前後の人々が「当たっている」と回答している。バーナム効果実証サイト。 ^ 社会心理学は偏見やステレオタイプや認知のひずみといった問題を重要な研究テーマとしている学問である。 |
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