岩手とは?/ マイワン
[ 404] 岩手県 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C
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この項目「岩手県」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。 加筆の要点 - 経済、とくにも近年の企業誘致の進展や、特産品などの伝統的産業に関する事項(該当章は「経済」) 「岩手」の起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事にならうとされる。 また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」と言う大和物語の一説が初めてだといわれている。その鷹の名は「岩手」であった。 帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝るのだ」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。 気候区分は北部および西部の山岳地が日本海側気候東北・北陸型気候区に属すが、その他は太平洋側気候三陸型気候区に属する。沿岸部は夏は涼しく冬は内陸ほど寒くないが、北上盆地は内陸性気候であり、夏は暑く冬は寒い(→東北地方#気候)。 県内全域が豪雪地帯であり冬には県全域に雪が降るが、積雪量には地域差が大きい(西和賀町は積雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている)。奥羽山脈では、積雪量が多く雪質もいいため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることが多い。太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になる場合も多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温がかなり低くなる(降雪時や曇天の場合は気温が下がりづらい)。北上盆地に位置する盛岡市は、このような放射冷却の影響がある脊梁山脈東側盆地の最北端都道府県庁所在地であるため、盛岡市より北に位置する青森市、場合によっては札幌市よりも最低気温が下回る時が通常で(青森市・札幌市ともに日本海側のため冬季は曇天が多く、放射冷却がおきづらい)、東北地方では勿論、日本の都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。 一方、北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にある海洋性気候の(傾向もある)仙台市よりも気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。 8世紀末の38年戦争では胆沢にアテルイが現れて朝廷軍を苦しめるが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされた。その後朝廷の勢力下に置かれ、蝦夷と呼ばれた人々は多くが全国に強制移住させられた。この後一部が俘囚と化し、11世紀までに俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏が東北地方を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現、その平泉時代を築いた。 鎌倉時代ごろには甲斐源氏の一派を称する南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。県央部では斯波氏、稗貫氏、阿曽沼氏、和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏、留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城をおく伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏、留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下におかれた。 これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じ頃、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ七戸南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした。南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。(九戸政実の乱) 江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩は田村氏、花巻には伊達氏城代が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた南部藩・伊達藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。 その後、盛岡県を岩手県に改称させられ、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わうが、これをバネに多くの人材が輩出し、原敬が内閣総理大臣に就任して薩長藩閥政治を終わらせ議会政治の定着をはかるなど、近代日本国家建設に多くの功があった。 戦後、1950〜1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が新日本製鐵の釜石製鐵所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。 その後、1964年にいわて花巻空港が開港、1982年に東北新幹線が開通して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ヶ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車(トヨタ自動車)などの自動車産業、東芝や富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びをみせた。 その一方で、情報の格差の是正は他の都道府県に比べ、大幅に遅れた。県内民間放送局のうち、後発2局は平成に改元されてからの開局であった(ただし、現在北東北においてテレビ東京系以外の各民間放送局がそろっているのは岩手県だけである)。 昭和40年に完成。12階建ての知事部局棟の隣に2階建ての県議会棟があり、渡り廊下でつながれている。完成当時は、県内でも珍しい15階建てという高層建築として注目を集めたが、竣工から30年を経過し、老朽化が叫ばれている。移転も取りざたされたこともあったが、財政難で立ち消えとなっているのが現状である。 かつては、産業がほとんどない「日本のチベット」を自称していたが、東北新幹線や東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人税や、従業員からの所得税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝のフラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした功奏から、1995年以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県でみると、福島県、宮城県、山形県に続く数字である。 貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行(第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。岩手県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ。 平成18年農林水産統計によると、農業産出額は2,544億円。食料自給率は106%であり、北海道や青森県、秋田県、山形県などと共に、自給率100%を超える数少ない県の一つである。広大な面積と、山岳に囲まれた地形のため、地域によって気候が大きく異なるところがあり、特性に応じてさまざまな形態の農業が営まれている。 穀物、畜産業などが伝統的に盛んである。林業は、県が木質バイオマス事業などの自然エネルギー活用に熱心なこともあって、生産高188億円(平成17年)と、全国5位の数字を出している。 水産業では、三陸海岸周辺が、黒潮による豊かな漁場として知られている。リアス式海岸の岩礁は、ワカメや海苔といった海藻類の養殖にも適しており、ワカメとあわびの養殖で、生産高全国1位の規模を持つ。 岩手県は、長らく主要な産業が新日本製鐵釜石製鉄所(釜石市)ほどしかなく、自らを「日本のチベット」と呼んで政府の救済策を求めたこともあったが、1991年に東北新幹線東京・盛岡間が開業すると、企業誘致が急速に進展した。1993年に関東自動車工業(金ヶ崎町)が進出して以来、製造業は大きく進展し、県民所得は全国40番台後半から、30番台まで向上した。このほか、県南には富士通や塩野義製薬、東芝などの工場が立地する。2008年2月には、東芝のフラッシュメモリ工場が2009年までに新設されることが報道された。7000億円規模の投資で、波及効果を合わせると1兆円程度の経済効果があるとされ、県は法人税減免や低利融資などを通じて、これを後押しするとしている。 なお、先述したフラッシュメモリ工場新設に当たって、北上市はこれまでに蓄積した企業誘致と合わせて、法人税収入の大きな増収が見込まれることから、国から地方交付税の交付を受けない「不交付団体」への昇格を果たすことになった。岩手県では、かつて製鉄業が隆盛を極めていた時代に釜石市が不交付団体となっていた前例があり、「それに次ぐ快挙」(2008年2月・岩手県知事定例記者会見)と評された。 自動車産業に関しては、トヨタ自動車が、東北地方を新たな生産拠点とする意向を示しており、金ヶ崎町の工場も、現行より10万台増の25万台生産規模まで拡大されることが決まっている。自動車関連産業の集積を進めるため、岩手県は、セントラル自動車の進出が内定している宮城県や山形県、福島県などと連携して、今後も誘致活動を展開していくとしている。 岩手県は総面積で全国2位であるが、可住地面積割合が24.3%(全国40位)と低く、可住地面積では全国5位に下がる(→都道府県の面積一覧)。可住地は、北上川流域の北上盆地、北上山地内の小盆地、三陸海岸沿岸部などに大きく分かれている。県の総人口約140万人の内、約100万人ほどが住む北上盆地には、東北新幹線や東北自動車道などの高速交通インフラが発達しているのに対し、その他の地域は高速交通インフラが未発達で、地域間移動は国道や在来線レベルに留まっている。特に、北上盆地と北上高地内小盆地との間は、トンネルなどの整備が進まず、国道・県道は急峻な峠を九十九折に上り下りする道となっており、直線距離と時間距離の間に大きな隔たりがある。このような状況は、陸路で繋がれながらも沖縄県と相似しており、北上盆地が沖縄本島、小盆地や沿岸部が離島と対比することが出来、救急医療においてはヘリコプター輸送も行われている。 このように地域間の交通インフラが未整備なため、従来、岩手県庁は、県内に12の「地方振興局」を設置して管轄範囲を設定し、それらを基本単位として「広域生活圏」の設定をしてきたが、平成の大合併を契機とし、2006年4月に地方振興局の再編を行った。人口の偏在と現状を踏まえ、県下一律の地域圏設定を見直し、県の主要部である北上盆地地域とその他の地域では異なる地域圏設定となった。まず、人口100万を擁し、高速交通インフラが整った北上盆地地域は、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡地域と、東北地方において内陸工業および流通の拠点の1つとなった県南地域との南北2分割に統合した。県南地域においては、岩手県中部・胆江・両磐の各「広域生活圏」を統合し、釜石広域生活圏から(近い将来釜石自動車道が開通予定の)遠野を分離させて編入させ、水沢地方振興局を格上げした「県南広域振興局」によって管轄させている。この新たな枠組みに含まれた従前の他の管内振興局は、花巻・北上・一関を「総合支局」、千厩と遠野を「行政センター」として組織化している。その他の地域については、従前の地域圏を踏襲している。 なお、上記のように北上盆地と県北・沿岸地域間の格差が大きくなっていることを受けて、岩手県庁は「県北・沿岸振興本部」[1]を平成18年1月4日より設置している。 大学入試センター試験の平均点が全国最下位であることから、県は予算を投じて学力の向上に取り組んでいる。平成17年度からは、県費で予備校講師を招く事業を行っているが、この取り組みが主要進学校のみで行われていることに、「主要進学校の実績は堅調なのだから、進学率向上には、それ以外の高校での対策も重要」との意見もある。 なお、首都圏の大学に進学すると費用が高額に上りがちなことから、その対策として、当初は看護系単科大学となる予定だった岩手県立大学を、総合大学に路線変更したこともある。 内陸部の縦軸の交通には、東北縦貫自動車道、国道4号など、自動車を用いた高速交通インフラが整っている。その反面、内陸部と沿岸を結ぶ「横軸」の交通は、いまだ急勾配・急カーブの一般国道レベル(国道106号など)に留まっており、結果的に、距離と移動時間が、必ずしも比例しない。なお、盛岡市内は道路が入り組んでいるためか特に朝夕の混雑がひどく注意が必要である。 秋田県秋田市とは、盛岡秋田道路(地域高規格道路)で結ばれており、トンネルや橋梁の整備で比較的スムーズな移動が可能である。 歴史にもある通りだが岩手県は北東北で唯一の民間放送4局地域であり、足りない系列を中心に青森・秋田のケーブルテレビの再送信元になっている。 逆に岩手県で青森・秋田両県の放送を見るのは県境付近を除いてほぼ不可能である。(奥羽山脈で隔てられている他、八戸テレビ中継局の電波に指向性がかけられているため。) なお、一関市を中心とする県南地域では山で隔てられていない事もあり、宮城県の放送を直接受信で見ることが比較的容易である。 岩手県の民間放送局が2局しか無かった頃は宮城県の民間放送局(仙台放送や東日本放送を中心に)の再送信が行われていたが、民間放送局が4局揃った現在では再送信は全て中止されている。 |
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