平成とは?/ マイワン
[ 1563] 平成 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90
|
「平成」は、元号法が制定された際に陽明学者・安岡正篤が考案したと言われ、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していた。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。 同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定し、14時36分、内閣官房長官の小渕恵三が記者会見で発表。 「只今終了致しました閣議で元号を改める政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。 尚、大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOA化に伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。 書経の当該部分は、清代中国における研究によって偽書(偽古文尚書)である事が確定したものであり、典拠として書経をあげるべきではない。 平治以来「平」ではじまる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」ではじまる元号はこれを避けるのが故実である。 派閥領袖ではない人物が多く首相に就任している。2008年現在、12人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下、宮沢喜一、小渕恵三、森喜朗の4人のみである。首相就任時の年齢が低下傾向にある。昭和期には60歳代後半・70歳代の首相は珍しくなかったが、平成期では多くが50歳代後半から60歳代前半で首相に就任している。70歳代での首相就任は宮澤喜一、村山富市、福田康夫の3人のみである。海部俊樹、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三は、50歳代で首相に就任している。橋本龍太郎、小沢一郎、小泉純一郎、福田康夫といった世襲政治家が多く活躍した。1994年の村山政権以来の首相は全員、世襲政治家が占めている。 平成期は、戦後体制を見直し、バブル崩壊以降の閉塞状態を脱却しようとする機運が生まれ、選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制の導入)、政治改革(政治資金規正法、政党助成金制度)、行政改革(省庁再編、公務員改革)など、総じて「改革」が望まれ、実現されてきた時代であると言える。また、有事法制の整備や自衛隊の海外派遣、教育基本法の改正など、保守色の強い政策への抵抗感が弱まり、自由民主党・民主党の二大政党の政策は右傾化している。革新勢力は力を失い、中国脅威論や対北朝鮮制裁に国民世論が同調している。政界再編が頻発し、政権の枠組みが頻繁に変化した。この事は、政治家のスキャンダルが多く発覚したこととあわせ、国民の政治不信を呼んだ。特定の支持政党を持たない「無党派層」が既存政党への支持者を大きく上回っている。 2000年の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。「竹下派七奉行」「清和会四天王」と呼ばれた大物政治家らが1990年代の政界を主導したが、過半が死去・引退した。2000年代に入り、戦後生まれの世代(概ね1946年以降に生まれた)が主導権を握りつつある。与野党で戦後世代の党首が誕生している。地方政治では、ユニークな「改革派首長」が登場し、財政再建や過疎対策などに辣腕を振るうようになった。 2001年に首相に就任した小泉純一郎によって推し進められた「聖域なき構造改革」以降、平成不況からは脱したものの、非正規雇用および所得格差の増大が表面化し、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった(新自由主義政策)。 偏差値重視の現行教育制度の改革が進められており、文部科学省はゆとり教育を掲げ授業時間数の削減、教育内容の減少を推進した。さらに愛国心や情操教育を盛り込んだ教育基本法の改正も行われた。 これに伴って、経済格差、地域格差を背景とした能力格差が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためといわれ、公教育への不信感が増大している。それを補うための学習塾や私立学校へ進学希望者が増加している。しかし、学習塾や私立学校のない地域はどうやって勉強すればいいのか、不景気の中で教育産業だけが儲かる状況は異常ではないのか、低所得者の学習意欲をどう保証するのかなど、日本国憲法が定めた教育権(能力に応じて教育を受ける権利を持つ)の問題を含めて深刻な状況にある。 そのためゆとり教育の見直し、幼稚園・保育園・高等学校の義務教育化に代表される公教育の機能強化が唱えられているが、教育観や費用の問題もあって見通しは不透明である。 少子化の進展で2005年には『大学全入時代』を迎えたが、学校を卒業しても親に生活を依存するニート、引きこもり、パラサイトといった学生や社会人が増加し、問題視されている。これは経済的には1990年代以来の不景気を背景にしているが、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会になれた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になるといわれる。と同時に、教育は学校に行くことだけがすべてではないという見方から、公教育以外の多様な施設が考案、実践されている。さらにメンタル面では不登校や児童虐待、いじめ、薬物乱用、性モラルの低下といった問題を抱えるが、これらの問題は家庭や学校のみならず、塾にまで波及しつつある。 昭和天皇の崩御とベルリンの壁の崩壊が同じ1989年に起こったので、世界史的には、平成は「ポスト冷戦時代」とも言える。 1991年にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国のすべてが独立し、解体された。イデオロギーの退潮に伴って、各地で民族・宗教紛争が顕在化、テロリズムの脅威が叫ばれている。一方でソビエト連邦解体後は、旧東側諸国が西側経済に統合され、世界経済の一体化が起こった。アメリカという超大国を軸に、欧州連合 (EU) 、中国、ロシア、日本などの中大国がそれに協力したり、地域的な覇権を争って対立もしながらも、ゆるやかな世界統合がなされている。その中で日本は冷戦時と同様に日米関係を外交の基軸とし、湾岸戦争やイラク戦争に協力するようになった。 海外ではアジア諸国、中国・インド・タイ・マレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。 このうち、北京オリンピックを控え、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的・軍事的存在感を強め、ガス田開発、領土問題などで日本との摩擦が表面化している。 通貨危機を脱した韓国は左派政権の盧武鉉政権が登場。折からの2002 FIFAワールドカップ共催、主婦層の韓流ブームと相まって、文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化、首相の靖国神社参拝で冷却化した。 また朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題、核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。 この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。 なお、東南アジア地域においては東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。 そのため、東アジア共同体 (AU) 、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権をめぐって日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。 この他、国連創設60周年に当たる2005年には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。 いわゆる、バブル景気の全盛期に該当する。若者の間で、真っ赤な口紅にソバージュ頭、太眉にボディコンという押しの強いファッションが流行した。また、トレンディドラマ全盛期でもあり(代表作は東京ラブストーリー、101回目のプロポーズなど)、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率をたたき出した。なお、経済的には1991年にバブル経済が終焉しているが、国民が景気停滞を感じ始めたのは1993年頃からだという見方が強い。 バブル経済が終焉し、平成不況に突入、就職氷河期が続く。1970年代ブーム。バブル期の流行から一転して細眉が流行し、茶髪が一般化した。ファッションの多様化がおこり、アムラー・裏原宿系・B系などのファッションが流行。コギャルが風俗として注目された。携帯電話、パソコンが一般にも普及してゆく。1995年頃漫画の売り上げがピークに達する。ビーイング系、小室系、ヴィジュアル系流行の最盛期で、1998年頃CDセールスがピークとなる。小学生男子の変容も著しい。1997年頃からハーフパンツの普及が始まり、1999年には、カジュアルタイプの半ズボンの生産を中止に追いやっている。 パソコン・携帯電話などは2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットが一般化した。CDや漫画をはじめとする出版物の発行部数が減少したほか、一部ではテレビ離れも言われている。また、高度経済成長期や、その前後の時代を懐古する風潮も広がっている。若者のファッションは著しく多様化し、ある世代全体に広がるような流行はもはやみられなくなった。 元年(1989年) - 消費税導入。美空ひばり死去。宇野内閣が発足するが、スキャンダルなどもありわずか2ヶ月でスピード退陣、第1次海部内閣発足。坂本堤弁護士一家殺害事件。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。東証の日経平均株価が史上最高値を記録し下落に転じる。ベルリンの壁崩壊。 3年(1991年) - 雲仙普賢岳が大噴火。湾岸戦争勃発。第58代横綱千代の富士が引退。東北・上越新幹線東京駅乗り入れ開始。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。宮澤内閣発足。ソビエト連邦解体。バブル経済崩壊。 4年(1992年) - バルセロナオリンピック・アルベールビルオリンピック開催。尾崎豊死去。毛利衛が宇宙へ。天皇が初めて中華人民共和国を訪問。米大統領にビル・クリントンが当選。宮澤内閣改造内閣発足。 5年(1993年) - 皇太子徳仁親王と小和田雅子が結婚。レインボーブリッジが開通。細川内閣発足により、自由民主党が野党に。歴史的冷夏。1993年米騒動によりコメの部分開放を決定。ドーハの悲劇でサッカー日本代表はW杯初出場を逃す。逸見政孝死去。 6年(1994年) - リレハンメルオリンピック開催。羽田内閣が発足するが、わずか2ヶ月でスピード退陣、村山内閣発足。アジア初の女性宇宙飛行士向井千秋が宇宙へ。大江健三郎がノーベル文学賞受賞。松本サリン事件。関西国際空港開港。プレイステーションが発売。三陸はるか沖地震。 7年(1995年) - 阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件が発生。オウム真理教の松本智津夫代表逮捕。村山内閣改造内閣発足。ウィンドウズ95発売。野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。仏大統領にジャック・シラクが当選。 9年(1997年) - 神戸連続児童殺傷事件。ナホトカ号重油流出事故。香港が中国に返還。長野新幹線開業。映画『もののけ姫』が公開。ダイアナ元英皇太子妃事故死。第2次橋本内閣改造内閣発足。サッカー日本代表がW杯初出場を決める。ポケモンショック。 12年(2000年) - 九州・沖縄サミット開催。二千円札発行。第1次森内閣発足、3ヶ月後第2次森内閣発足。地下鉄日比谷線脱線事故。新潟少女監禁事件の被害者発見。韓国と北朝鮮の南北首脳会談が実現。三宅島が噴火し全島避難。夏季シドニーオリンピックが開催。第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)発足。 14年(2002年) - ソルトレイクシティオリンピックが開催。EU圏内で新通貨ユーロに完全統合。住民基本台帳ネットワークが開始。第1次小泉内閣第1次改造内閣発足。東北新幹線が八戸駅までに延伸。アジアで初のサッカーワールドカップを韓国と日本が共催。 16年(2004年) - 九州新幹線が開業。営団地下鉄が東京地下鉄(東京メトロ)に。佐世保小六女児同級生殺害事件が発生。異常気象で、観測史上最多となる10個の台風が日本に上陸。『マツケンサンバ』が大ヒット。アテネオリンピック開催。第2次小泉改造内閣発足。新潟県中越地震発生。日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。『東北楽天ゴールデンイーグルス』がプロ野球パ・リーグに新規参入。 18年(2006年) - 平成18年豪雪。ライブドアショック、堀江貴文逮捕。トリノオリンピック開催。ワールドベースボールクラシック開催、日本が初代優勝。ワールドカップ ドイツ大会開催。北朝鮮がミサイル7発の発射実験。村上ファンド代表の村上世彰逮捕。秋篠宮妃紀子が悠仁親王出産。安倍内閣発足。北朝鮮が核実験。 アニメや特撮の世界では、昭和から続くシリーズで平成に制作された作品を「平成ゴジラ」や「平成ウルトラマン」、「平成ライダー」と呼ぶことが多い。 なお、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名のみは改元以前の1988年以前も存在していた小字名である。 平成に改元した直後の1989年1月には、平 成(たいら しげる)という名前の個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。 小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。 記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボールと風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知ったとき、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである。また、4枚目を選んだのはうまい下手に関係なく、はじめから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。 新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである(TBSラジオ「伊集院光・日曜日の秘密基地」より)。 その『平成』の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、現在も竹下元首相私邸に飾られているとのことである。 竹下登首相・小渕恵三官房長官の所属派閥の名前が「経世会(けいせいかい)」であり、「派閥の名前と一文字しか違わない」と陰口がささやかれた。竹下が経世会旗揚げ前に田中派内で結成した集団の名前も「創政会(そうせいかい)」であり、「○○せい」というのが竹下の好みであったのは確かなようである。 |
マイワンのサイトです。