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未完成とは?/ マイワン

[ 816] 未完成交響曲 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E5%AE%8C%E6%88%90%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2

未完成交響曲(みかんせいこうきょうきょく)とは、作曲者自身の手によって完成されることがなかった音楽作品で、とくに交響曲を指向していたと解釈することが可能なものである。
単に「未完成交響曲」と言った場合、普通はフランツ・シューベルトの交響曲第7番ロ短調D.759のことを指すが、この項目ではより一般的な意味での「未完成交響曲」について扱う。
未完成交響曲は、文字通り完成されていない音楽である以上、作曲者が自身の「作品」として発表したことは基本的にはない。また、未完成である以上、「作品」として演奏されることは一部の例外を除き皆無である。むしろ、交響曲というジャンルにおける未完成作品は、各々の作曲家を研究する上においての資料として扱われる場合の方が多いであろう。
どちらの分類法も、その定義が極めてあいまいであり、未完成交響曲を完全に分類しきれるものではない。よって、この項目ではとりあえず後者の分類法を用いることにする。
チャイコフスキー:交響曲第7番変ホ長調 - 第5番の次の交響曲として作曲が開始されたが、途中で作曲者の気が変わりピアノ協奏曲第3番変ホ長調となった。しかし、これも未完成に終わった。後に何種類かの補筆完成版が作られて現在演奏され、非公式の吹奏楽版まで存在する。
上記のものでは、シューベルトの交響曲ロ短調が「音楽的に完成された作品」と解釈され、頻繁に演奏されている以外はみな、たとえば習作的であったり、途中で作曲家が投げ出してしまったものであったりするなどして、「作品」として演奏されることは少なく、無名なものばかりである。
ブルックナーの第9番は音楽的にほとんど完成しているとみなすことが可能である。すると、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーなど、交響曲の大家とされる作曲家たちは、みな交響曲第9番を完成させたすぐ後に死んでいる、と見なすこともできる。このため、特にブルックナーやベートーヴェンの死を目の当たりにしたマーラーは晩年、交響曲第9番を書くことを非常に恐れていたと伝えられている(第九の呪い)。たまに評論家達がドヴォルザークをこの範疇に入れることがあるが、それは誤りである。なぜならドヴォルザークの生前、最後の交響曲ホ短調「新世界より」は、出版社の都合で第5番として出版されたためである(作曲者の死後、9曲の交響曲全てに番号が作曲順に付け直された)。上記のいずれも何らかの形で補筆完成され、楽譜の出版や演奏、録音が行われている。
なお、この「第九の呪い」のジンクスは、20世紀のソ連の作曲家、ショスタコーヴィチが交響曲を15曲作曲したことによって破られたといわれるが、実際にはショスタコーヴィチ以前にラフやブライアン、ミヨー、ミャスコフスキーらが第10番以降の交響曲を作曲している。また、メンデルスゾーンは番号付きの5つの交響曲とは別に、13曲の弦楽のための習作交響曲を作曲している。
このうちシューベルトの未完成交響曲は、そのままでも十分な交響曲と見なしうるとして頻繁に演奏されている。それどころか、このジャンルにおける名曲の1つであるとさえされている。
ブルックナーのものは大半が完成されているが、演奏可能な状態まで作曲されたのは第3楽章までである。第4楽章は補筆が試みられており、それを含めて完全な交響曲として演奏されることも多いものの、3つの楽章のみで演奏されることも多い(なお、ブルックナーの交響曲は、他人の手による大規模な校訂が入っている場合が珍しくない)。また、第4楽章の代わりとして「テ・デウム」を演奏しても良いと語ったと伝えられている。
マーラーのものは、第1楽章はほぼ完成されていたが、他は大雑把な枠組みのみであった。第1楽章単独で演奏されることもあるが、残りの楽章が研究家の手によって補筆完成され、全楽章演奏されることもある。特にクック版が有名である。
ムソルグスキー:『ホヴァーンシチナ』 ― リムスキー=コルサコフによる補作で長らく演奏されていたが、近年ではショスタコーヴィチによるものが普及している。
プッチーニ:『トゥーランドット』 ― アルファーノの補筆完成版で上演されることが多い。最近ではベリオによる正確な原典復元完成版もある。
シェーンベルク:『モーゼとアロン』 ― 全3幕のうち音楽は第2幕まで完成。台本は第3幕まで完成しており、第3幕は音楽なしで演じられることがある。
ベルク:『ルル』 ― フリードリヒ・チェルハによる第3幕の仮完成版が作られた後、草稿のピアノ譜が発見された。大きく違っていたために再び補筆完成が行われ、現行版となった。
オリヴィエ・メシアン:四重協奏曲 ― メシアン夫人イヴォンヌ・ロリオがジョージ・ベンジャミンの補助により補筆完成。
J.S.バッハ:フーガの技法 ― 楽器編成は特に指定してないが、弦楽四重奏版やピアノ版はバロック音楽様式の編成としては不自然なため、ここではオルガンやチェンバロで演奏するのが本来の形として挙げた。
ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第3番 ― 作曲者は存命しており「現在進行中の作品」だが、本人が完成しているとして放棄している。

 

[ 817] 交響曲第7番 (シューベルト) - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88)

交響曲第7番は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルトの作曲した7番目の交響曲であるが、シューベルトの後期の交響曲は何度も番号が変更されており、「交響曲第7番」が示す曲もその都度変化している。
D729(ホ長調)→現在は番号はついていない。大半がスケッチのみの未完の交響曲。後世の指揮者や音楽学者らによりオーケストレーションされた版で演奏されることもある。
第1楽章 Allegro moderato ロ短調 冒頭からロ―嬰ハ―ニの有名な動機が現れる。単に序奏というのではなく楽章の最後まで執拗に支配している。木管の甲高い第1主題を弦楽が支えながら第2主題に入る。ト長調の伸びやかなチェロがシンコペーションに乗って歌われる。展開部は序奏を発展させる形のもの。半音階ずつ転調を繰り返す。
交響曲は通常4つの楽章から構成され、その最も典型的な形が「運命」や「新世界」などに見られるアレグロ・ソナタ - 緩徐楽章 - スケルツォ - フィナーレ という形式である。シューベルトも当初はそのようなものを構想して、この交響曲ロ短調の作曲を進めていったのであろうと考えられる。しかし、シューベルトは第2楽章まで完成させ、スケルツォ(第3楽章)をスケッチまでほぼ仕上げながら、そこで作曲を中止してしまった。このような経緯により交響曲ロ短調D759は、第2楽章までしかない未完成交響曲となってしまったのであった。
なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのかにはさまざまな説がある。例えば「第1楽章を4分の3拍子、第2楽章を8分の3拍子で書いてしまったために、4分の3拍子のスケルツォがありきたりなものになってしまった」というもの、また「シューベルトは、第2楽章までのままでも十分に芸術的であると判断し、それ以上のつけたしは蛇足に過ぎないと考えた」という説などである。事実、第3楽章のスケッチの完成度があまり高くないため、シューベルトのこの判断は正しかったと考える人は多い。もっとも、このように音楽作品を完成させないまま放棄するということをシューベルトはきわめて頻繁に行っており[2]、「未完成」であることは、この交響曲の成立に関してそれほど本質的な意味はないとする考えもある。
シューベルトが残したスケルツォにオーケストレーションをほどこして第3楽章とし、劇付随音楽「ロザムンデ」の間奏曲を流用して第4楽章とする4楽章の完成版(イギリスの音楽学者エイブラハムとニューボウルドによる[3])として演奏する例もないことはないが、趣味の悪い選択でしかないという意見も多い。
シューベルトの多くの作品で見られることだが、第1楽章の第1主題冒頭の自筆譜にかかれた記号はアクセントなのかデクレッシェンドなのか判然とせず、今でも見解が分かれたままである。「そのどちらでもなく」演奏することが慣例だが、どちらかにしてしまう極端な解釈の演奏も見られる。
なお、20世紀の名指揮者・作曲家であったフェーリクス・フォン・ヴァインガルトナーは、この曲の未完の第三楽章を補筆し、自作の交響曲の中に使用している。
^ LPレコードは、片面の収録時間が約30分だった。この2曲の交響曲は、通常のテンポでの演奏時間がほぼこれに合致し、かつ大作曲家のニックネーム付きの名曲ということもあり多くの指揮者とオーケストラによる録音が多数発売された。CD時代になり、廉価盤のBOXセットによるベートーヴェンの交響曲全集盤が多数発売されるようになると、「未完成交響曲」の方は単独で発売されることがあまりないため、シューベルト交響曲全集の一貫として録音されたものでない限り、LP当時にカップリングされていた「未完成」を容易に入手できないことがある。
^ この曲以外にあと5曲の未完成交響曲がある。作曲途中である種の完成感に至り、全曲の完成を諦めた例としてはクロード・ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」がある。

 

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