永久とは?/ マイワン
[ 160] 永久機関 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%B9%85%E6%A9%9F%E9%96%A2
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古くは単純に外部からエネルギーを供給しなくても永久に運動を続ける装置と考えられていた。しかし、慣性の法則によれば外力が働かない限り物体は等速直線運動を続けるし、惑星は角運動量保存の法則により自転を続ける。そのため、単純に運動を続けるのではなく、外に対して仕事を行い続ける装置が永久機関と呼ばれる。 これが実現すれば石炭も石油も不要となり、エネルギー問題など発生しない。18世紀の科学者、技術者はこれを実現すべく精力的に研究を行った。しかし、18世紀の終わりには純粋力学的な方法では実現不可能だということが明らかになり、さらに19世紀には熱を使った方法でも不可能であることが明らかになった。永久機関は実現できなかったが、これにより熱力学と呼ばれる物理学の1分野が大いに発展した。 第一種永久機関の例。時計回りに機関を回転させると、上部でおもりを乗せた棒が倒れるため、支点からの距離が長くなり、機関の右側がさらに重くなって回転が続く、というもの。しかし実際には、機関の左のほうがおもりの数が多くなってしまい、機関は左右がつりあってしまうため、回転は停止する。 浮力を利用した永久機関 黄色い浮きの浮力(アルキメデスの原理)によってベルトが反時計回りに回ると考えた 第一種永久機関とは、外部から何も受け取ることなく、仕事を外部に取り出すことができる機関である。科学者、技術者の精力的な研究にも関わらず、このような機関を作りだすことはできなかった。機関が仕事をするためには「外部から熱を受け取る」、「外部から仕事をなされる」のどちらかが必要で、それを望む形の仕事に変換するしかないのである。これを定式化したのが熱力学第一法則(エネルギー保存の法則と等価)である。 熱力学第一法則(エネルギー保存の法則)を破らずに実現しようとしたのが第二種永久機関である。 仕事を外部に取り出すとエネルギーを外部から供給する必要ができてしまう。 そこで仕事を行う部分を装置内に組み込んでしまい、ある熱源から熱エネルギーを取り出しこれを仕事に変換し、仕事によって発生した熱を熱源に回収する装置が考えられた。 このような装置があればエネルギー保存の法則を破らない永久機関となる。 熱エネルギーの回収を行うので熱源や周囲の温度は維持される。そのため空気や海水塊自体の持っている熱を取り出して仕事をし、他に熱的な影響を与えない機械ともいえる。例として海水の熱により推進する仮想的な船の例で説明する。この船では、エネルギー保存の法則により、取り出した運動エネルギー分温度の下がった海水の排水が出る。これを船の近傍に捨てるとする。一方では、船の推進の摩擦による熱が発生し、船の周りに温水ができる。スクリューで海の水をかき回すと、その冷水と温水が混じり周囲の温度と均一になり、他に(熱という意味での)影響を与えないように見える。ただし、加速時には船の近傍の海水は周りより冷たくなり、減速時には船の近傍の海水は周りより熱くはなる。 仮に第二種永久機関が可能としても、定義よりエネルギー保存は破らないため、その機械自体の持っているエネルギーを外部に取り出してしまえば、いずれその機械は停止する。本機械は「熱効率100%の熱機関」であって、その機械自体をエネルギー源として使用できるわけではない。 第二種永久機関を肯定する実験結果は得られておらず、実現は否定されている。第二種永久機関の否定により、「熱は温度の高い方から低い方に流れる」という熱力学第二法則(エントロピー増大の原理)が確立した。 第二種永久機関に関する思考実験としては以下のパラドックスが提案された。これらの思考実験について検討することは、熱力学の法則をよりよく理解するものとなる。 ある2つの小さな小部屋があり、その間は小さな小窓で仕切られている。部屋の片方には分子レベルの小さな悪魔がおり、悪魔はその窓を開閉できる。悪魔は、自分の部屋に速度の速い分子が飛び込んで来たときと速度の遅い分子が出るときに窓を開け、それ以外の場合には窓を閉めるものとする。その結果、片方の部屋では速度の遅い分子のみ、もう片方の部屋は速度の速い分子に分けられ、自動的に2つの温度差が作られる。悪魔自体は情報処理を行っており、その処理にエントロピーの増大が必要であるとされ、このパラドックスは否定されている。 この装置は、周囲の個々の分子のランダムな運動より、選択的にある方向の分子の運動量のみの流れを取り出し推進する。実はこの装置は、周囲の温度より低い場合にのみブラウン運動からエネルギーを引き出すことができる。生物の分子モーターの原理でもある。 実際に動作しており、一見して永久機関のようにエネルギーが生み出されているようにみえる装置や現象がある。しかし、詳しく検討すればこれらは永久機関ではないことがわかる。 鳥の形を模したおもちゃ。頭部に相当する部分から蒸発する水が熱を奪い、鳥の上下の温度差を維持する。鳥は頭部と胴体部をガラス管で接続した構造で、内部に揮発性の液体が入っている。鳥はシーソーのように中心付近を支点として固定されている。通常時は頭が起き上がっている。頭部にある吸水性のフエルトを水で濡らすと、蒸発する水が気化熱を奪うため温度が下がり、液体がガラス管の内部を上昇する。液体が上まで届くとバランスが崩れ、頭部が重くなって頭を垂れる。このとき頭部が浸かる位置に水を入れたコップを置いておき、頭を垂れた時に頭部へ入った液体が流れ落ちるように調整しておくと、再び頭が起き上がる。水がなくなるか室内の空気の湿度が100%になるまで、この運動が半永久的に続く。 恒星を公転している惑星などに対して、適切な方向から宇宙船を接近させると、宇宙船の恒星に対する速度を変化させることができる。この方法は実際の宇宙探査機に用いられており、スイングバイと呼ばれている。スイングバイで増速する際のエネルギーは、惑星の公転半径がわずかに小さくなることで、惑星の持つ位置エネルギーから供給される。 第二法則が確立する以前には、永久機関を作る試みが何度もなされた。 こうした歴史的永久機関には図に示したものの他に以下のようなものがあった。 アルキメデスが発明したとされる螺旋状の揚水装置を利用した永久機関。まずこの螺旋の回転によって上方に運び上げた水を落とし、水車を回転させ、それを動力として螺旋を回すというアイデアである。ロバート・フラッドの粉挽き水車としても知られている。 熱力学の法則の確立以後も疑似科学者や詐欺師によって、永久機関が「発明」され続けている。現在でも、永久機関を「発明」したとして日本の特許庁に年間数件の特許申請があるという。アメリカの特許庁では、あまりにも多くの永久機関の特許請求があったため、永久機関を利用した発明を拒絶理由にするに至った(例外的に、いくつか特許審査を通過したものもあった)。 一般的に疑似科学者達には複雑な科学理論を理解する素養が無いので、「永久機関は存在しない」といった彼らにも理解しやすい法則は攻撃対象になりやすいのである。特に「第二種永久機関が実現不可能」ということは厳密にいえば依然経験則であるため、付け込まれる隙があるといえる。 また詐欺として故意犯的に永久機関が「発明」される事も多い。永久機関という(仮に実在するとすれば)世界最大級の発明を武器にして、科学的知識が乏しい投資家達をカモにするのである。 アントニオ猪木の永久機関(記者会見時に不動。原因はネジを一本締め忘れとの弁明だったが、二度と世に出ることはなかった。後年に効率99%の発電機を立ち上げたことにより、事実上の永久機関完成撤回宣言) 上述したように、熱力学の法則があるゆえ永久機関を作ることはできない。しかし第一法則、第二法則とも、外部から何のエネルギーも貰っていないという仮定のもとでのみ成立している。したがって外部からエネルギーが貰えるという状況下では、「永久機関もどき」を作ることができる。太陽電池がその一例である。さらに言えば、水車も同じことである。もちろん、外部から永遠にエネルギーを貰い続けることはできないので、これらの装置は実際は「半永久機関」になる。 真の意味での永久機関は実現不能なので、永久機関で特許を取得するのは困難である。このため以上のような抜け穴を利用して「永久機関もどき」を実現したと主張する疑似科学的発明が後を絶たない。 こうした似非「永久機関もどき」の一例として、ドクター中松によるドクター中松エンジン(エネレックス)が挙げられる。ドクター中松の主張によれば、この装置は外部から「宇宙エネルギー」を摂取することによって動くので、この装置の存在は熱力学の法則と矛盾しない。しかし「宇宙エネルギー」に関する説明がない以上、この装置は単なる疑似科学的発明に過ぎないと言える。 |
[ 161] 永久欠番 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%B9%85%E6%AC%A0%E7%95%AA
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永久欠番(えいきゅうけつばん)とは、背番号などを使用するスポーツにおいて、多大な功績を残した人物の使用した背番号を、その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、団体内で対象となった人物のみが使用できるように欠番にした番号をいう。英語圏ではRetired numberと称される。 黒沢俊夫の背番号4については、本人がシーズン中に病死した事情もあり、「4は死に通じて不吉だから永久欠番にした」という説があるがこれは俗説。千葉茂の著書や証言に拠れば、ほとんどの主力選手を軍隊に取られた戦時下の巨人に球団史上初のトレードで移籍後、4番を打ち、戦後も病に倒れるまで5番・6番打者として活躍した本人への感謝の意として千葉を中心とする選手有志が提案し、沢村栄治と共に永久欠番になったとの事。黒沢が遺言として「私が死んだら、遺体に巨人軍のユニフォームを着せて葬って欲しい」と残したと言われる。2007年には期間限定で、現在のホームユニフォームをアレンジした形で、ジャイアンツの公式ホームページの通販コーナーで予約発売された。 藤村富美男の背番号10については、球団創設以来、背番号10をつけた選手は藤村のみである。(永久欠番の中では唯一) 服部受弘は1960年に背番号10が永久欠番に制定されているが、その栄誉に人一倍重きを置いていたと言う。OB戦に出場の際、背番号10のユニフォームを裏返して参加。「僕は永久欠番をもらっている。簡単に陽の目にさらすような真似はできない」とコメントしたという。その為か、1977年に2軍監督として球界復帰時は、10番を着用している。 金田正一は、国鉄スワローズでも背番号34を付けていたが、それは欠番ではない。巨人での永久欠番は、日本人として初めての400勝を達成したことを記念してのものといわれている。国鉄でも欠番となる余地はあったが、1965年に球団が産経新聞社に身売りしたと言う事実が大きい。その後、永久欠番とならなかった背番号34は高野光らが着用した。現在はダニエル・リオスが着用。 村山実は1972年に背番号11が永久欠番に指定されている。彼は永久欠番の栄誉を終生誇りとしており、引退後サインを求められると必ず「阪神タイガース永久欠番」と書いていた。1988年に阪神監督復帰と同時に2年間復活している。 西鉄ライオンズの永久欠番6(中西太)、永久欠番24(稲尾和久)は、福岡野球株式会社への球団身売りの為に失効した。当時、黒い霧事件などによる球団内部の混乱もあり、身売り後の措置について取り決めを行わなかった為に、引き継がれなかったと言われている。現在、6は後藤武敏、24は松永浩典が着用。 長池徳士の背番号3は、1979年に現役引退後もコーチとしても着用しており、欠番として扱われていたが、1985年、コーチとして西武ライオンズに移籍したために欠番では無くなった。オリックス・バファローズとなった現在は村松有人が着用。 吉田義男が1969年に現役を引退した際、背番号23は、この番号に相応しい人物が入団するまで一時的に欠番となった。しかし、吉田と比較できるほどの名手は二度とあらわれず、吉田自身も監督時代は23番をつけることはなく、監督として日本シリーズ優勝を経験した後、1987年に正式に永久欠番に指定された。 福本豊の背番号7は、1984年に通算盗塁の世界記録を達成した際に永久欠番となることが決定していたが、永久欠番にはなっていない。当時、現役だったために本人が固辞したと言うことと、その後阪急ブレーブスが身売りしたことの要因が重なっている。オリックスで打撃コーチ・二軍監督を務めた時も引き続き背番号7を着用する。1991年退団後、愛称の変わったオリックス・ブルーウェーブでは2000年までの10年間、田口壮、小川博文、イチローの3名が背番号7を打診されるも全て固辞、谷佳知は入団時に背番号7を希望するも却下され、欠番となっていたが、2001年に進藤達哉が福本公認の下、背番号7を着用し、欠番ではなくなった。進藤が引退した後、オリックス・ブルーウェーブ最後の年となった2004年は、日高剛が着用。オリックス・バファローズとなってからは水口栄二、濱中治と順に着用。 有藤道世の背番号8は、1987年以降、ロッテオリオンズの欠番として扱われていたが、1992年、「千葉ロッテマリーンズ」への愛称変更後は欠番では無くなった。現在でも準永久欠番として後述の26番と同格に扱われている。 若松勉の背番号1は、1989年に現役引退後、永久欠番にとの署名が多く集まり、「準永久欠番」として生え抜きの選手のみが着用許可の番号となった。 北別府学の背番号20は、準永久欠番として球団が公認したものである。9年間を経て、現在の背番号20は永川勝浩である。 原辰徳の背番号8は、1995年に原が現役引退した際、巨人一筋15年、ON後の巨人を牽引した四番打者に対し、背番号8を永久欠番にとの署名が多く集まったため、フロントが「準永久欠番」に制定。以後、背番号8は生え抜きの人物に優先的に着用させる番号となった。2006年までは原の承認に基づき仁志敏久が着用していたが、仁志の移籍に伴い2007年より、原の推薦により移籍選手である谷佳知が着用することになった。 ミゲール・デルトロは2001年に西武ライオンズに在籍したが、帰国後に交通事故のために急逝。西武ライオンズでは同年限りでの解雇が決定していたが、正式発表前の事故死であった為に「所属選手」とし翌2002年、背番号32を1年間の期間限定で、欠番に制定した。 秋山幸二の背番号1は、2002年、選手として、また、福岡ダイエーホークスを日本一に導いた功績を称え永久欠番にすることを示唆され、多くのファンにより永久欠番とすることが願われていたが、球団上層部との対立により至らなかった。現在は柴原洋が着用。 大阪近鉄バファローズの永久欠番1(鈴木啓示)は、オリックス・ブルーウェーブとの合併による球団消滅により、消滅した。後継球団のオリックス・バファローズでは、2006年までは後藤光尊が着用。これはオリックス・ブルーウェーブ時代から後藤が背番号1を着用していた事に加え、鈴木本人が永久欠番を継続しない事を了承したため。2007年からはテリー・コリンズ監督が着用。 東北楽天ゴールデンイーグルスは背番号10を、ファンのための背番号(レギュラー9人に続く10人目の意味。ただし楽天はパリーグなので正確には先発メンバーは指名打者を入れて10人となる)として永久欠番としている。サッカーでは同様の理由で12番を欠番とするチームがいくつかあるが、日本プロ野球界では初の試みである。 野村謙二郎の背番号7は、広島東洋カープの永久欠番にする事を打診したが、本人が断ったため推薦する選手が出るまで永久預かり番号とした。 以上の永久欠番以外にも、偉大な功績をあげた前任者を讃えて、また、在籍中に不慮の事故や病などで急逝した人物への哀悼の念をこめて一時的に使用を見合わせる「準永久欠番」を指定している球団もある。これは、米国でHono(u)red Numberと称されているものである。最近では福岡ダイエーホークスに在籍し、2000年に現役のまま病没した藤井将雄の15番、読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへ移籍した松井秀喜の55番、オリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへ移籍したイチローの51番などが準永久欠番扱いになっている。 古田敦也の背番号27番は、2007年、永久欠番にするかどうかの意見を募った際に、約90パーセントの賛成を受けたが、「名誉番号」(準永久欠番扱い)として顕彰される事になった。また、東京ヤクルトスワローズは現在、永久欠番の指定に当たっての基準について検討が行われている。 審判員が着用する肩番号(審判番号)はまずパ・リーグが1977年に、続いてセ・リーグが1988年に制定したが、退職以降他の審判に引き継がれることがなく今に至っている番号が存在するため、これらは事実上の永久欠番となっている。セリーグの3番は、着用していた上本孝一審判員が現役中に逝去したためである。 日本に無いケースとして「全チーム共通の永久欠番」「複数球団にまたがる一競技者の永久欠番」「複数の競技者を称えた永久欠番」がある。 全チーム共通永久欠番-42番。黒人メジャーリーグ選手の第1号ジャッキー・ロビンソン(ドジャース)の背番号。ただし、1997年4月15日時点で既に42番を付けていて、現在まで使い続けている選手に限り特例として継続して使用することができる。2007年現在ではヤンキースのマリアノ・リベラが現役で唯一の、そして、最後の42番を付ける選手となっている。加えて、カージナルスのブルース・スーターも現役時代の背番号が42番であり、2006年に殿堂入りを果たして欠番に指定され、ロビンソンの背番号と並立することとなった。 複数球団にまたがる一競技者の永久欠番-現在8名。ノーラン・ライアン(エンゼルスの30番、アストロズ、レンジャースの34番)、ハンク・アーロン(ブレーブス、ブルワーズの44番)、ケーシー・ステンゲル(ヤンキースとメッツの37番)、フランク・ロビンソン(レッズとオリオールズの20番)、カールトン・フィスク(レッドソックスの27番とホワイトソックスの72番)、ロッド・カルー(エンゼルスとツインズの29番)、ロリー・フィンガース(ブルワーズとアスレチックスの34番)、そして、レジー・ジャクソン(ヤンキースの44番とアスレチックスの9番)。 複数の競技者を称えた永久欠番-現在2ケース。ヤンキースの8番(ビル・ディッキーとヨギ・ベラ)、カージナルスの42番(ブルース・スーターとジャッキー・ロビンソン)。 ジャイアンツのクリスティー・マシューソンとジョン・マグロー、カージナルスのロジャース・ホーンスビー、フィリーズのグローバー・アレキサンダーとチャック・クライン、タイガースのタイ・カッブは、背番号が定着する以前の名選手だったが、永久欠番と同様の扱いになっている(ただし、チャック・クラインは背番号定着後に活躍した選手だが、毎シーズン背番号を変えていたため、最初の数年間の背番号がない時代のチームの花文字を欠番代わりにしている) 。 インディアンスの455番は、ホームゲームが455戦連続で満員になったことを記念し、「ファンの背番号」として永久欠番になっている。 エンゼルスのオーナーであると同時に有名なカウボーイ俳優であり、自ら球団の応援歌もレコーディングしたジーン・オートリーのために、エンゼルスは26番を彼のための永久欠番としている。26は、ベンチ入りを許される25人の次の選手になりたいというオートリーの希望によるといわれている。 パドレスのオーナーであったマクドナルドの社長レイ・クロックは、財政難による球団の危機を救った事により、永久欠番と同様に顕彰されている。 タイガースの球場アナウンサーを42年間勤め、ファンに人気を博し殿堂入りを果たしたアーニー・ハウエルは、背番号こそ無いものの、永久欠番と同様に顕彰されている。また、カージナルスのジャック・バック、ジャイアンツのロン・シモンズとルース・ホッジス、パドレスのジェリー・コールマンも名アナウンサーとして、同様の栄誉を受けている。 レッズの14番は、永久欠番とされてはいないが、大リーグ史上最多安打を記録し、1989年に野球賭博に関わったとして永久追放処分となったピート・ローズ以後、着用したのはローズの息子、ピート・ローズ・ジュニア(英語版)だけなので、実質的には準永久欠番といえる。 タイガースの3番はアラン・トラメルの準欠番扱いとなっているが、2007年、移籍してきたゲーリー・シェフィールドに自ら背番号3番を与えた。これは、シェフィールドが過去に着用した背番号1番、5番、10番、11番がすべてタイガースの永久欠番か準永久欠番とされており、10番はジム・リーランド監督が着用している。その後背番号について相談を受けたトラメルが考慮し、自らの背番号を与えた。 35-張鍾薫(チャン・ジョンフン) チーム一筋で、実働年数、出場試合、通算本塁打、通算打点など野手のほとんどの韓国記録を樹立 金栄伸はロサンゼルス五輪に韓国代表として出場など活躍、若手期待の捕手であったが1986年、水難事故により逝去。OBベアーズは同年、背番号54番を永久欠番に制定した。韓国球界初の永久欠番となる。 起亜タイガースは2001年、ヘテからの身売りの際に「宣銅烈の永久欠番18を返上、新人投手に与える」と発表した。しかし、このことが韓国球界およびマスコミなどで猛反発を招き、同2001年、元通り永久欠番に指定する。 日本のプロサッカーリーグ・Jリーグでは、1997年の固定背番号制度発足に伴い、「選手が着用する背番号は連番とし、欠番を作らないように」という通達が出ていたが、サポーターとしての欠番や、移籍選手の背番号の空き番措置に対して各クラブチームの意思が強くなったために、2004年、連番でなくてもよいと改正された。この改正により、選手個人としての永久欠番が認められるようになった。 2005年1月30日、Jリーグ初の永久欠番が制定された。対象となっている坂田道孝は当時、佐賀大学教授で佐賀県サッカー協会理事長。 1994年、静岡県浜松市にあったPJMフューチャーズを佐賀県鳥栖市に誘致し、 鳥栖フューチャーズを発足させた。クラブチーム中興の祖であり、経営難による鳥栖フューチャーズ消滅後も、設立活動に尽力を注ぎ、チームを復活させた鳥栖最大の功労者。チームの再興を見届け、1999年1月7日逝去。(命日1月7日にちなみ意志を受け継ぐという意味で17番を永久欠番に制定)。また、J2のベンチ登録選手が16人であることからサポーターをそれに次ぐ「17番目の選手」としてサポーターズナンバーも兼ねている。 鹿島アントラーズのMF本田泰人はJリーグ発足当時から2006年までプロキャリアをすべて鹿島で過ごし、クラブに多大に貢献した事から、2007年、彼がつけていた背番号6を後継者が現れるまでの欠番とする。 ナショナルチームにおける永久欠番制度はFIFAに認められていないため、大会の規定(例:スターティングメンバーの背番号を1-11番とする場合や、大会に登録できるのは23人で1-23番を使用する場合など)により、やむを得ず使用する場合がある(特に国家代表が出場する大会でその場合が多い)。 サポーターを12番目の選手にたとえる意味で12番を欠番とするチームが複数存在する。日本では永久欠番とはされない(Jリーグでは現在浦和、横浜FC、鳥栖以外全チームで採用)が、欧州では永久欠番扱いとなっているチームも存在する(フェイエノールト等13チームが12を欠番としている)。 マンチェスター・シティのフォエ、セビージャのプエルタ、ユトレヒトのディトマソ、ベンフィカのフェヘル、ディナモ・ブカレストのハルダンは在籍中に亡くなったためにそれぞれ付けていた番号が永久欠番となった。ちなみにプエルタの16番は会長が彼の息子が成長してセビージャFCの選手になれば継承させる旨の発言していたので欠番でなくなる可能性がある。 バスケットボールでは団体により使用できない背番号が存在するが、この記事ではそれらを永久欠番としては扱わない。 NBAならではのケースとして、「コーチの勝利数由来の永久欠番」「ファン=6人目の選手としての永久欠番」「所属歴のない選手の永久欠番」がある。 所属歴のない選手の永久欠番 - ホーネッツのピート・マラビッチの7番(かつてニューオーリンズに本拠を置いたニューオーリンズ・ジャズ(現・ユタ・ジャズ)で活躍した功績を称えて)、ヒートのマイケル・ジョーダンの23番(NBAに貢献したということで永久欠番にすると2003年にパット・ライリーが決定した。(一説には「マイケル・ジョーダンに苦しめられたライリーが、自チームで23番を見たくないからだ」とも言われている。)) ピストンズのチャック・デーリーの2番は選手としてではなく、コーチとして2連続優勝を讃えて永久欠番としている。 セルティックスのレッド・アワーバックの2番は、創設者のウォルター・ブラウンの1番が欠番にされていることに倣ったものである。 セルティックスの18番はジム・ロスカトフの永久欠番にする予定だったが、ロスカトフ本人が辞退。後にデイブ・コーウェンスの永久欠番となる際に、準ずる形として共に顕彰されている。 シーホークスの80番はスティーヴ・ラージェントの永久欠番だが、2004-05シーズンに限りジェリー・ライスがラージェントの許可の下で着用した。また、12番は「12番目の選手」としてファン専用の欠番となっている(アメリカンフットボールではフィールド内でプレイする選手は最大11人と決まっている)。 ニューオーリンズ・セインツの8番は永久欠番とはなっていないが、アーチー・マニング以外に後にも先にも着用した選手はおらず名誉欠番となっている。 ボルティモア・レイヴェンズ、ジャクソンヴィル・ジャガーズ、ヒューストン・テキサンズには今のところ永久欠番がない。 加藤大治郎は2003年4月6日、鈴鹿サーキットにて開催された第1戦日本GP決勝レース中の事故で逝去。日本バイク界への多大なる功績を称え、愛用していたゼッケン番号74はチャンピオンを獲得した250ccクラスにおける永久欠番となった。74番は誕生日の7月4日に由来。 グレッグ・ムーアはCARTの最年少優勝記録を樹立するなど、下位カテゴリーを含め多くの最年少記録を塗り替え、若手の有望株として知られていた。しかし、1999年10月31日、最終戦フォンタナの決勝レース中に事故死。その死を悼み、愛用していたゼッケン番号99が永久欠番となった。 中村政信はSGを二度制覇するなどオートレース西の横綱と称されファンからも愛されたが、1999年12月23日の飯塚オートレース場第11レースにて落車、事故死した。その後、ファンからの強い要望もあり飯塚での練習番号71が永久欠番となった。 フローラ・ハイマンは、1986年1月の試合中に意識を失い急死。オレンジアタッカーズおよびアメリカ代表それぞれの7番を永久欠番とする。ただしオレンジアタッカーズの永久欠番については久光製薬には引き継がれず、現在狩野美雪が7番をつけている。 サントリーの16番は、チームの黄金時代に多大に貢献したジルソン・ベルナルドの功績を称えて永久欠番としており、2006年11月現在Vリーグ唯一の永久欠番である。 永久欠番とは異なるが、パイオニアレッドウイングスでは2005年より33番をサポーターズナンバーとしている。由来はリベロを含めたコート上の選手に次ぐ、8番目の選手と言う意味の「8」を縦に半分に割って左側をひっくり返して「33」としている。33番はチームをVリーグ昇格に導いた選手の一人、小泉栄子がつけていた。 落語や歌舞伎などの伝統芸能においては、功績が偉大な者の名跡や、あるいは元々のジャンルでは軽い名跡であるが、別ジャンルへの移籍後に大きな功績を残した事により、襲う者がいない、名跡の管理を行っている者たちが触れたがらないなどの事情から、長年に渡り襲名が行われない名跡がある。これについて、「永久欠番の芸人」「永久欠番の名跡」などと評する事がある。 |
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