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重ねるとは?/ マイワン

[ 1065] 積読を重ねる日々
[引用サイト]  http://kiicho.txt-nifty.com/tundoku/

・”こうあるべき”と言う高いモラルから生じる独善をウィリアムによって打ち砕かれたレイチェル先生が、本当の意味で”正しいこと”を為そうとする姿に感動した。己を汚れ役にすることも厭わず、堂々と悪意に立ち向かっていく姿が格好いいよなあ。
・表紙も少しずつ明るさが生まれてきて、これはひょっとして作品内容も暗示しているのかしら?・ハチワンダイバードラマ化。 ……ここまで原作に対してリスペクトの欠片も無い改変を見ると、なんていうの?日本のTVの低俗さが伝わってくるというか…殺意の波動に目覚めてしまいそうになるというか…。もう心の底から”どうでもいい”としか言えん。
エリック・ガルシアの恐竜ハードボイルド第三弾は、またしても女関係でややこしい事態に巻き込まれるヴィンセント・ルビオの受難…と言うにはいささか重過ぎる内容だった。
今までのコメディタッチの物語から一転、ルビオの苦い青春の日々から生じる葛藤が中心になっている。とあるマフィアのボスからの(半ば脅迫の)依頼によって、マイアミでの組織抗争に巻き込まれてしまったルビオは、敵対組織のボスがかつての親友とその妹である事を知る。親友を、そしてその妹であるかつての恋人を陥れることなど出来るはずも無く、しかし、依頼を遂行せねばルビオの命は風前の灯。苦悩しながらも、生来のお人好し気質を発揮させていくうちに、成り行きで2重3重スパイまでこなす羽目になってしまったルビオを明日はどっちだ!?
とまあ、常時苦しい立場に置かれてしまったルビオが、ヘタレ気質全開で右往左往するのが物語の主眼になっている。まあ、相変わらずノリの軽いルビオのキャラクターのおかげで、あっちこっちで嘘をつきまくり、ギャングを陥れたり逆に罠にはめられたりとかなりひどい状況になっているにも関わらず、むしろそのドタバタを愉快になってくるのはさすがだなあ。「さらば愛しの鉤爪」でも相棒を務めた女探偵ブレンダとの掛け合いも相変わらず楽しいし、ルビオの過去が明かされるあたりはシリーズものの醍醐味ですな。
そんな常時軽いノリではあるんだけど、かなり危険が危険で大ピンチな状況であるのは変わらないので、ルビオは常に厳しい選択をせまられ続けている。かつての恋人、親友を助けるのか、しかし、そのためには己の命を賭けなくてはならない…。失敗すれば、残酷なる死、成功してもただではすまない。そんなギリギリの状況の中、ルビオは決死の綱渡りを開始するわけだけど、我らがルビオさんがそんな格好良く決めてくれるはずもなく、ギャングにはボコられ、女には騙され、散々な目に合ってしまうわけですな。
ところがどっこい、ちっぽけなプライドを胸に、逆境に立ち向かって行く主人公を見よ!たとえ最後に、残酷な、あまりにも残酷な真実が明らかになろうとも、彼の反骨は打ち折れることは無いのだ。
ヘタレで、女に弱くて、気も小さい、ついでにハープ中毒な、しかし、誇りを知る男の、極めてハードボイルドな一面が見られる快作であった。
いやー何なんだろうねこれ。作者は一体、どこからこんなアイディアを思いついたのか、さっぱりわからんぜ。乱暴な言い方をしてしまえば要するに○オチなわけだけど、もちろん、それだけで片付けられる内容じゃないよねえ(ある意味、これもセカイ系とでも言うのか?)。もはや薔薇のマリアシリーズにおいて、もう一人の主人公とでも言いうべきアジアンの内的世界を徹底的に、えぐりこむように描写しまくっている。
えーと、つまり何が言いたいかといいますとね、この一冊で、十文字青は、今まではあくまでも脇役的存在であったアジアンを、主要人物級に、とりわけマリアに匹敵するほどのキャラクターに肉付けをしようとしているわけですよ。マリアはこれまで十巻近くをかけて少しずつ描写されてきたがゆえの人格的厚みが存在しているわけだけど、アジアンはそこまで描写がなかった(と言うより、内心を明かさないキャラクターだった)。このままだと、アジアン編を進めていく上で、マリアに対して対等な立場になれない、と作者は判断したのだろう(と僕は思っているだけなんだけどね)。そこで、作者の凄まじいアクロバットによって、アジアンの始まりから現在に至るまでの葛藤と、マリアに対する想いを、この一冊に超圧縮して描いたわけですな。マリアが十巻近くかけたことを一巻でやっちゃおうと言うのだから、そりゃもー歪つなもんなだけど、その歪さが逆にサスペンスフルな緊張感をもたらしているように思えるんだから、地力のある作家ってすげーなー、と感歎いたしました。
脳内会議における激しい議論の結果、『夜は短し歩けよ乙女』のコミック版を買ってしまいました。内容は…まあ、やっぱり難しいよね、うん…。原作準拠の部分はともかく、オリジナル部分の浮き方が…いや、まあ、頑張っているとは思うんだけど…。
勢い余って『狼と香辛料』のコミック版まで購入。い、いいじゃないかよう!小梅けいとは好きなんだもん(もんとか言うな)!
『超人ロック エピタフ』は、面白いなあ。永遠の命を持ち、歴史の裏側に関わってきたロックが、後年、とある歴史的人物の実像について語る、と言う趣向か。つまり、インタビュー・ウィズ・スーパーマン、ですな。現在(インタビュー時点)と、過去の出来事が交互に行き来しつつ、”あの”ブリアン・ド・ラージュの生涯が語られる。おら、なんだかわくわくしてたぞ!
佐々木少年は凄いとしか言いようがない。かなりオリジナルな展開になってきたのに、この作品は『月姫』以外何者でもねええー!
しかし、自分はどれだけ森見登見彦が好きなのだろうか…。『夜は短し歩けよ乙女』のコミック版については、現在検討中だ。果たして、オレ脳内会議はどのような結論を出すのであろうか。
最近、いろいろとファンタジー(ここでは狭義のジャンルの意味でのものね)をよく読んでいるんだけど(この『MAMA』もそうだし、西魚ナリコの『時と黄昏の狭間』もそう)、ものすごく面白いと思ったファンタジーがなぜか全員女性作家と言うのは、なにか意味があるのだろうか。ふと振り返ってみると、上橋菜穂子も好きだし、荻原規子も好きだったし、梨木果歩も面白かったなあ。五代ゆうも入れてもいいか。男性作家でファンタジーを書いている人で、面白かった人が、最近ちょっと思いつかない。
なぜなのか、と言うことをちょっと考えてみると、女性的な観点なのかもしれないけど、どの作家も、異世界を描きながらも、設定そのものには囚われず、空気感を紡ぎだすことに腐心しているということがまずあると思う。そこには設定厨がよく陥りがちな堅苦しさがなく、ごく自然に異世界が現出してくるのだけど、同時にあくまでも作家たちの視点は、”人間”に固定されているところが良いのだろうと思う。このあたりは、男性との視点の違いなんだろうなあ。異界を表現するのに、風景描写に費やすのではなく、あくまでも人間同士のやりとりの中から異世界を生み出す。心の交流、ロマンスを通じて、読者は異世界を直感として理解していけるようになる。のかもしれない。うーむ、よくわからんです。
さて、『MAMA』という作品についてだけど、これはまさに、人間に対する愛情をに満ちた異世界ファンタジーでありますね。誰かを愛するということはどういうことなのか。何かを得るということはどういうことなのか、と言う誰もが抱える当たり前の事を、残酷に、そして優しく描いている。ファンタジーって言うのは、いわゆる逃避文学と呼ばれることがあるけれども、本当に優れたファンタジーは、単に異世界を描くのではなく、幻想の世界でもって”人間”を描くものなんだよね。現実でもいくらでも起こっている残酷なもの。ファンタジーだからこそ、残酷から逃げてはいけないのだと思う。
トトとホーイチが襲われた不幸と言うのは、実のところ人生では良くあることでもあるわけです。集団から排斥され、はじき出されたものたちが、お互いにすがって生きることに何の間違いがあるだろうか。でも、そうして依存しあった関係は、結局はいつかは崩壊することは避けられないことなのです。特に、彼女と彼は、その存在意義が根本的に異なる存在であるわけだから。彼女とともに生きれば、彼は彼でなくなってしまう。彼が彼として生きようとすれば、彼女を殺さずにはいられないだろう。その危うさを、ホーイチはもちろん分かっていただろうことは間違いないし、自分がいなくなったあと、彼女を自分とは違ったやり方で守ってくれる相手も探していたのかもしれない(そこまで積極的じゃないかもしれないけど)。だから、多分、最後のあれはほとんど自殺も同然なんじゃないかと思う。自分の役目は終わったから。本当の意味で彼女を守ってくれる相手も見つけたから。
その時、彼は何をおもっていたんだろうねえ…。彼が思う彼女への気持ち、彼女が知った、彼への気持ち。主従であり、親子であり、恋人であった二人は、結局、お互いの事を本当につながりあうことは出来ていなかったのかもしれない。ただ傷を舐めあっただけだったのかもしれない。それでも、彼女のために出来る、唯一の、冴えたやり方を選んだ人食いの魔物の心には、確かに、そういう何かの気持ちがあったんだろうと、思いますですよ。
『荒野に獣慟哭す』の7巻発売。いやもう…伊藤勢ファンとしては、なんと言うか、感慨無量と言うか…。もう言葉に出来ない心境です。
もともと、オリエンタリズム溢れる、雑多な世界観を内包しており、海外(特に南米とかインドなど)への志向を強く持ちつつ、常に何らかの原因(作品の不人気、雑誌の休刊など)により、国外に出る前に連載終了の憂き目をあってきた伊藤勢が、ついに国外、しかも中南米へ物語が推移した!
ここから、伊藤勢がどのような物語を紡いでいくのか。オカルトを基調にしながらも、常に実践主義とも言うべき、独特の現実認識をメインテーマにしているこの作者だけに、オカルト色が強まっていくメキシコ編をどのように展開させていくのか、今からわくわくして仕方が無い。

 

[ 1066] 年齢を重ねるごとに「食べられなくなったもの」ランキング、1位は? Narinari.com
[引用サイト]  http://www.narinari.com/Nd/2007027048.html

多少の不摂生はものともせず、概ね健康な身体を維持できていた若い頃に比べると、20代後半から30代に入ると徐々に衰えを感じ始めるもの。運動すれば「すぐ息が切れる」、長時間座っていると「腰が痛い」、濃い食べ物を食べると「胃がもたれる」などなど。日常生活に大きな影響を与えるほどのダメージを受けるわけではないなりが、若い頃に比べると身体にガタがきはじめていることを、認めたくなくても認めなければいけない日が来るものなりよ。コ○助は自分の身体の衰えを悟った瞬間を、今でもよく覚えているなり。学生時代、コ○助は豚骨ラーメンが大好きで、週に1〜2回は必ず食べていた(※ほかの味のラーメンも週に2〜3回は食べていた)なりよ。それだけに、自分の中では「コッテリコテコテのラーメンが好き」だと思い込んでいる節があったなりが、3年ほど前のある日を境に、豚骨ラーメンを食べると強烈に胃がもたれるようになってしまったなりね。今でも豚骨ラーメンの味は好きなので食べることはあるものの、その際には胃薬は必携。体調不良を覚悟の上で臨まなければ、豚骨ラーメンを食べられない身体になってしまったなりよ……。でも、不思議なのは豚骨以外のコッテリ系のラーメンなら全然平気だということ。豚骨ラーメンの何かが身体に合わなくなってしまったのかもしれないなり。さて、そういった「年齢を重ねるごとに食べられなくなったもの」もの、誰でも一つや二つはあると思うなりが、そのあたりをオリコンが調査しているなりよ。世間一般では、いったいなにが「食べられなくなった」ものの上位に来ているのか、少し見ておくことにするなり。◎年齢を重ねるごとに食べられなくなったものランキング(オリコン)総合1位 ステーキ(女性1位、男性3位)総合2位 焼肉(女性圏外、男性1位)総合3位 スナック菓子(女性3位、男性2位)総合4位 カップラーメン(女性2位、男性圏外)総合5位 ケーキ(女性圏外、男性4位)ということで、1位に輝いたのはステーキだったなり。2位の焼肉と合わせて肉々しい料理がワンツーフィニッシュを決めたなりね。この2つは、よく「もう若い頃のようにガッツリ食べられない」と過去を振り返るときに持ち出される料理の代表格なので当然の結果とも言えるなりか。3位のスナック菓子、4位のカップラーメンはジャンクな食べ物の代表格なので、加齢とともに高まる健康意識から「食べられない」と回答している人が多そうなりよ。コ○助は幸い(?)なことに、この上位5つは難なく、美味しく食べられるものばかり。豚骨ラーメンは「食べられないもの」になってしまったなりが、まだまだ身体(※胃袋)は若いなりよ!

 

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