鮮明とは?/ マイワン
[ 798] 文鮮明 - Wikipedia
[引用サイト] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%AE%AE%E6%98%8E
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但し、子供達の中に飲酒、喫煙、麻薬の使用や、男女問題、離婚など、教義上の禁忌(タブー)に触れる事をする者が少なからずいることへの批判がある。他方、教団内ではそれは信者の不信仰ゆえに起こったことだと説明されている。 人類始祖、アダムとエバの愛の過ちにより「サタンの血統」に陥った堕落人間を「神の血統」に転換するとの独自の教義に基づき、「合同結婚式」により、国際カップルを含む多くの男女を結びつけて来た。 文鮮明は宗教活動に留まらず、機械製作会社(銃の製造を含む)、製薬会社、新聞社、銀行から自動車、食品、旅行など様々な分野の企業を設立し、政治、経済、宗教、科学、言論などに関する会議や財団を数多く創立した。その全ては「地上天国」の実現のためのものであるとされている。 「統一教会」は草創期から、韓国本国を初め、日本、アメリカでも多くの反対を受けて来ており、教団設立以前に、抗日独立の地下活動を行って来た時代から、文鮮明はこれまでに6度投獄された経験を持つ。文鮮明自身も、自らを歴史上、最も迫害された宗教者であるとし、それが自分が本物である証だとしている。 但し、これも金日成が赤軍によって「抗日活動家」として偽装させられたとする疑惑があるように、文も右派の宗教勢力としての役割を担わせるためにCIA、KCIAの都合により「抗日活動家」の肩書きに結び付いたとも云われている。 韓国で噂になった「血分け」をしていたという疑惑や、日本で社会問題になった霊感商法について、教祖自身は公式には一切言及していない。 統一教会は世界の多くの国(特にヨーロッパ)から問題のあるカルト(セクト)として警戒され、入国できない国が多く、日本でも毎年入国問題がとりざたされてきていた。しかし、ここ数年、フィリピンはじめアジア諸国、オセアニア諸国において、教祖やその家族の講演をはじめ様々な活動が展開されている。2006年には、ドイツが教祖の入国を許可した。対して韓国では、教義の違いから一般のキリスト教会の反対が強い。日本では、キリスト教関係者のみならず、弁護士団体や元信者からの反対も強い。 文鮮明自身も自らの後継者を考えるべき高齢になっているが、当初、予定されていた長男が様々な問題を起こしたので、三男である文顕進(ムン・ヒョンジン)を後継者に立てる体制を確立しつつある。長らく、アメリカのニューヨークに居を構え、活動してきたが、2006年に韓国の京畿道加平郡清平(チョンピョン)建てた「王宮」に住むことになった。 “龍明”(ヨンミョン/りゅうめい)と名づけられる。(後に、宗教活動を行うにあたり、“鮮明”に改名)。上思里は家が15軒ほどしかない農村で、9軒が文氏姓であったため、「文村」と呼ばれたという。 兄が一人、姉が三人、弟妹が5人くらい、いたとされ、両親は農業を営み、一家は長老派教会系の熱心なキリスト教徒であったという。 4月17日 数え年で16歳の時、復活祭に当たる日(あくまで文鮮明の主張である。カトリック、プロテスタントともに、この年の復活節は4月21日であった。)に、猫頭山(ミョドゥサン)でいつものように祈っているとイエス・キリスト が霊的に現われ、“イスラエル民族が自分を不信したため、果たせなくなった 神のみ旨を果たしてほしい”と請われたが、その重大な容ゆえに何度も辞退したが、その最も悲惨で困難な道を、誰かが行かねばならないことを悟り、受け入れたという。(米国のテレビのインタビューでは「イエスはヘブライ語なまりの韓国語で話した」と答えている。)」 春、小学校の卒業式で、演壇に立ち、教育や教師への批判、時代批判などを一時間近く訴え大問題となったという。 故郷を離れ、京城府(現在のソウル)にあった京城商工実務学校電気科に入学。 長老派系のイエス教会所属の明水台(ミョンスデ)教会の日曜学校で、子供たちを指導したという。平壌(ピョンヤン)からしばしば訪ねて来たイエス教会の幹部である李浩彬(イ・ホビン)、朴在泰(パク・チェボン)牧師たちと、信仰の境地について語り合う。また、生活に苦しむ人間の実態を知るために、日雇い労働、農夫、漁夫、波止場の人夫、炭鉱の抗夫など、警察と軍隊以外のことを多く経験したという。 また、地下活動を含む抗日活動を始める。神の摂理として、朝鮮(大韓帝国)を日本から独立させることが目的であったとされる。 ソウル駅前や昌慶苑(太宗を祭る宮殿)などにおいて、時代情勢について演説したりしながら3年間伝道したという。 12月 京城商工実務学校を卒業。抗日活動を警戒されてか、日本留学の許可が得られなかったので、警察署長に直談判して許可を得たという。 4月 日本に留学。「創氏改名」制度を利用し、「江本」という日本姓を名乗る。新宿区戸塚町の三橋宅に下宿しながら、早稲田大学附属の早稲田高等工学校電気工学科に学ぶ。(戦後の学制改革で早稲田大学工業高等学校となるが、1968年に廃校となった。昔は“早稲田大学高等部を経て理工学部に学んだ”と称していたが、早大に高等部は存在しない。また、文鮮明はそのときの日本名は山本朋成であったと語っていたが、後にその名前の別人がいることが判明した)[6]。 東京留学中も抗日活動に励み、当事、第二次国共合作中の中国の重慶の亡命政府、大韓民国臨時政府の主席で、対日宣戦布告していた金九(キム・グ、テロも厭わない独立運動家)とも連絡を取り、地下活動を行う。要注意人物として、毎月、高田馬場の戸塚警察署に呼び出されたという。 また、『聖書』を初めとして、宗教や哲学の勉強を熱心にしたという。また、社会の現実を知るために、日雇い労働のために、東京の各地、横浜、川崎、千葉や品川の裏町の貧民窟や新宿の裏町の酒場などへも行ったという。後に「統一原理」と呼ばれることになる真理を発見したのは、20代前半だという。 12月 18歳の崔先吉(チェ・ソンギル)と約婚。(教団では「真の母」としての第一候補だったとされ、年齢は十代で、篤実なキリスト教徒であり、洗礼ヨハネの使命を果たす女性という条件で選んだと言う。お見合いだったとも言われる。) 年初 満州のハイラル区で就職する予定にしていたが、世界情勢の変化を見て、朝鮮に残るべきだと考え直し、鹿島組(現・鹿島建設)の京城(ソウル)支店に電気技師として就職。 5月 崔先吉(18歳)と聖婚式を挙げる。「血分け」を行う混淫派とも言われる李龍道(イ・ヨンド)派のイエス教会の幹部である李浩彬の司式により行われたとも言われる。 10月 日本留学時の抗日運動の事実が発覚し、京畿道(キョンギド)警察部によって連行され、拷問を受ける。 日本での地下活動の内容と関連者の名前を白状するように迫られたが、最後まで黙り通したという。従兄弟の文龍基(ムン・ヨンギ)たちが有名な弁護士を雇い、3か月で無罪釈放されるように働きかけたという。 12月25日 クリスマスに当たるこの日に、霊界からの啓示を受けた人からソロモン王の祝福を受けたという。さらに、啓示によって、みなが文鮮明に従うようになったのを金百文が妨げるようになり、文鮮明に対し敬遠するようになったという。 10月中旬ころ 故郷の朝鮮北部・定州郡に帰る。いとこの文龍基(ムン・ヨンギ)と買い物をしたとき出したお金が偽物と疑われ、二人とも牢獄に入れられる。小学校時代の担任であった郭山(クァクサン)の警察署長に身元の保証を請け負ってもらい釈放される。 妻と三か月の息子(文聖進、ムン・ソンジン)を置き去りにして、南北分界線の監視区域を突破し、ソ連支配下の平壌へ向かう。 6月6日 平壌に到着する。摂理で用意された神霊集団を再統合するためだとされる。それらの集団は「混淫派」や「霊体交換派」と呼ばれる「血分け」を行う者達だとも言われる。 8月11日 牧師の訴えと共産党から李承晩のスパイ容疑(風俗紊乱の廉で逮捕収監だったとも言われる)で大同保安署に3ヶ月間収容される。同じく投獄されていた腹中教の許孝彬(ホ・ヒョウビン)に「司法当局(朝鮮共産党政権下の治安機関)は受けた啓示を嘘だと言えば釈放するといっているのだから、それを認めて牢獄から出よ」と書いた手紙がに発覚する。 4月7日 社会秩序を乱したという社会紊乱罪で、重労働5年の刑を言い渡される。(教団の講義ではこう教えられるが、批判側の資料には、実業家の妻金鍾和(キム・ジョンファ)と怪しげにみえる儀式を行っているところに警官が踏み込み、強制結婚の現行犯で逮捕され、夫の告訴により、懲役5年の実刑をうけ、相手の女性も10ヶ月の実刑となり共に収監された、とある[6]。) 5月20日 咸鏡南道 の興南(フンナム)にある「徳里特別労務者収容所」(通称、興南収容所。日本窒素肥料株式会社が1927年に建てた大規模化学コンビナート工場に通勤する元・従業員寮)に入れられて化学肥料(硫酸アンモニウム)を袋に詰めて運ぶ重労働に服する。 5月10日 一年をかけて『原理原本』を書き上げる。同日、高麗神学校(現在の高神大学)の学生で伝道師の姜賢実(カン・ヒョンシル、現在、教会ではアウグスチヌスの妻とされている)が訪ねて来る。後に入教。 5月1日 ソウルで世界基督教統一神霊協会を設立する。最初の会長は李昌煥(イ・チャンファン、後に脱会) 3月24日 当時のエリート校であった梨花女子大の教授や生徒が次々と統一教会(統一協会)入信し、大学は異端の信仰をやめないことを理由に、崔元福(チェ・ウォンボク)・金永雲(キム・ヨンウン)・梁允永(ヤン・ユニョン、音楽家講師)ら5名の教授・助教授を免職に、14名の学生らを退学処分とした。延禧(ヨンヒ)専門学校でも教授が免職処分、二名の学生が退学処分となる。 マスコミは当初、信仰の自由を認めない大学側を批判したが、やがて、教団に批判的な報道をするようになる。文鮮明が「血分け」をしているとの噂が広まり、教会に対する社会的批判が高まる。 7月4日 警察(治安局特殊情報課)により、兵役法違、某大学生を三日間不法監禁したという容疑で逮捕される。後日、劉孝元、金百弼、劉孝永(ユ・ヒョウヨン)の弟子3人も逮捕される。 10月4日 ソウル地方院の結審公判で、訴えていた女性側が告訴を取り下げたため、無罪放免となるが、劉孝元は5千ウオンの罰金を科せられ、他の2二人は懲役8か月となる。 6月 宣教のため、韓国の西川勝{韓国名は崔翔翼(チェ・サンイク)または崔奉春(チェ・ボンチュン)}を日本に密入国させる。不法入国で逮捕された後、逃亡した西川は各地を転々と逃げ回った中で、同じく密入国した金明煕をかくまっていた品川の霊能者、志賀如心の所にも身を寄せたという。全国モーターボート競走会連合会の会長であった笹川良一が逮捕された西川の身元引受人を買って出たが、文鮮明は「日本の陰謀だから、帰国するように」と指示[14]。 弟子の宋(ソン)長老と趙(チョン)イルチョンを連れて八道江山(パルトガンザン)の有名な師を訪ねる為、釜山近郊の寺刹を巡る[15]。 第三アダムとして来た「真の父」である文鮮明が、新婦としての「真の母」を復帰して、人類の真の父母となる基準が満たされたとされる。 4月16日 ソウル特別市 龍山区青坡洞本部教会において、金栄輝(キム・ヨンヒ)と鄭大和(チョン・テーファ)、劉孝元(ユ・ヒョウウオン)と史吉子(サ・キルジャ)、金元弼(キム・ウオンピル)と鄭達玉(チョン・タルオク)の三組の合同結婚式を行う。 7月26日 「万物の日」を宣布する。真の父母(文夫妻)と真の子女(文夫妻の子供たち)が一体となって万物に対する所有を決定したという。 6月25日 アメリカのアイゼンハワー大統領と会談する。「宗教の国連を造って、世界を指導する基盤としなければならない」と提案したという。 12月 祝福家庭婦人を3年間の開拓伝道に送り出す。韓国民族が統一教会(統一協会)を受け入れなかった失敗を取り返すためだとされる。 2月〜 アメリカの七大都市(ニューヨーク、ワシントンD・C、ボルチモア、フィラデルフィア、サンフランシスコ、ロサンゼルス、バークレー)やヨーロッパの二大都市で講演する。 11月30日 ウォーターゲート事件で糾弾されているニクソン大統領を擁護する声明を「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」に出す。『許せ、愛せ、団結せよ』と訴える。 2月15日〜 アメリカの32か都市で、「キリスト教の新しい未来」と題して3日連続の講演を行う。イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、イスラエル民族の不信仰によって殺されたこと、再臨のキリストは人として地上に来られることなどを語る。 5月7日 日本の帝国ホテルで開催された「希望の日晩餐会」(名誉実行委員長は岸信介)で「為に生きる」という題で講演する。 福田赳夫大蔵大臣は「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる'文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返す。安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎(ブリヂストン副社長)、笹川了平(大阪日々新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らの他らの他、40名ほどのの小学校、中学校、高校の校長達が出席。 9月18日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、「希望の日」大講演会を行う。2万数千人が集まる。その後、アメリカの八大都市で講演する。 1月16日 韓国の朝鮮ホテルにおける「希望の日」晩餐会を行う。韓国において、初めて公の場で講演する。丁一権(チョン・イルクォン)国会議長を初め、7百名余りの著名人が集まる。 6月7日 韓国のヨイド五・一六広場における「救世救国大会」において、「世界の中の韓国」と題して、共産主義打倒を訴える。 7月、米国東海岸ボストン北部にあるグロースターでマグロ釣りを中心とする「海洋摂理」を始める。第一回目の四十日のマグロ釣りをする。 6月1日 ニューヨーク州のヤンキー・スタジアムで、「アメリカに対する神の希望」と題して講演を行う。5万人が集まる。 9月18日 ワシントン広場で、「アメリカと神のみ旨」と題して講演する。歴史の中心的立場に立ってきたユダヤ教、キリスト教と統一教会(統一協会)が一つになって世界の宗教を統一し、3つの宗教の基盤であるイスラエルとアメリカと韓国が一つになって世界統一のために貢献すべきことを訴える。50万人が集まる。 10月4日 「天克日」(天の克服の日、当時は「天勝日」と呼んでいた)を宣布する。文鮮明の築き上げた基盤により、神のみ旨が必ず成就する条件が立ったとされる。 アメリカの大統領に選出された民主党のジミー・カーターが共産主義に甘いことなどを激しく批判する運動を展開する。 5月3日 16回目の聖婚記念日に当たるこの日に、韓鶴子が、夫、文鮮明との結婚以来、神とサタンの試練を受け、人知れない苦労の道を歩んできたことを信者らの前で告白する。 5月3日 ドナルド・フレーザー米下院議員が文鮮明の特別補佐官である朴普煕(パク・ポーヒー)をKCIAの工作員等の疑惑で議会に召喚する。 5月7日 文鮮明とウォーキートーキー(小型無線機)を持った護衛を含む教会員10名(2名は日本人幹部)がニューヨーク市北部のバード・カレッジという大学の構内に不法侵入した疑いで逮捕されたと『毎日新聞』が報じる。(同上)教団側は不法侵入ではなく、観光していた、滝を見ていたと説明した。保釈金を積んで釈放される。 自ら創設した新聞『ニューズ・ワールド』で米大統領選に於いてレーガン候補の圧勝を予想する記事を書くように指示[1]。 3月30日 狙撃されたレーガン大統領の回復を祈る集会に朴普煕と共に参加。朴は、「ボリビアを反共の砦の中心とするのは、神の意志だ」と演説。文鮮明は、7000人の宗教軍を募集してトレーニングした。 10月 文鮮明名義の銀行預金に対する1973年からの三年間の利息について納税申告を怠ったという脱税容疑で、ニューヨーク州連邦地方裁判所に起訴される。 5月17日 アメリカで保守系の日刊新聞、「ワシントン・タイムズ」を創刊する。(前年に米国で唯一の保守系新聞であった「ワシントン・イブニング・スター」紙が廃刊したことに危機感を覚えた政府が、保守系日刊紙の創刊を積極的に勧誘していたところ、統一教会のメディア会社の「ニューズ・ワールド・コミュニケーションズ」社がそれに応じた) 『世界日報』の紙面作りにおいて、教会色を押さえ、一般紙を志向した副島嘉和編集局長らを追い出すために、「休刊してでも、天の伝統を打ちたてよ」と指示したという。 12月23日 八大都市の最後の光州大会の最中、次男の文興進(ムン・フンジン、17歳)が珍福(チンボク)と珍吉(チンギル)の二人の祝福子女と夜の外出から戻る途中、凍結した道路で故障中のトラックに激突する自動車事故で、瀕死の重傷を負う。 1月3日 「愛勝日」を宣布する。前日に他界した次男の興進を霊界における「全権大使」に任命したと宣言。イエス・キリストより上位の位置にあるとされる。翌月、教団のナンバー2の朴普煕(パク・ポーヒー、36家庭)の娘、朴薫淑(パク・フンスク)と霊界の文興進を結婚させる。(アメリカの法律では死者との結婚は認められないので、文鮮明は朴薫淑を養女にした。) 5月14日 アメリカの連邦裁判所は文鮮明の上告申請を却下。脱税の罪で懲役一年六ヶ月の実刑判決を受ける。 7月19日 収監の前日に当たるこの日に、今回の裁判は政府による宗教迫害であるとの声明を発表する。出国すれば罪に問われないが、刑を受け入れることを表明。アメリカでの永住権を約束したグリーンカードは失効せず。 7月20日 側近(アメリカの伝道責任者)の神山威と共に、コネチカット州のダンベリー連邦刑務所に収監される。 日本宣教の開拓者である西川勝が脱会の意向を伝えるため、ニューヨークに会いに来たが、側近を通じて会わないと断る。 6月6日 アメリカのレーガン政権が、イランへの武器売却代金を、共産化したニカラグアに反対するゲリラ、「コントラ」援助に流用していたことが暴露され、議会がイランへの武器販売および「コントラ」への資金提供に反対していた最中、『ワシントンタイムズ』紙で、「コントラ」に対し、1400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出る。 7月4日 模範囚と認められ、6か月の刑期短縮になり、ニューヨークのブルックリンのハーフウェイハウス(出所者の社会適応の施設)に移動。 8月20日 刑期を終え、釈放されたその日の夜に開催された「神と自由のバンケット」で、「神のみ旨」と題して講演する。全米30以上の教派から2千名の牧師と聖職者が参加する。 9月 前妻(崔先吉)との間の息子である文聖進(ムン・ソンジン)を筑波大学(当時の総長は統一教会シンパの福田信之)が研究員として受け入れていたことが発覚し、問題となる。 ベルベディアにおいて、妻、韓鶴子と共に世界皇帝・世界皇后即位の秘密儀式を行う。12人の子供、嫁と婿が王子、王女のような衣装を着る。高い位置にある幹部だけが参加をゆるされる[3]。 3月 三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と郭全淑{カク・チョンスク、側近の郭錠煥(カク・チョンファン)の娘}を祝福する。 アフリカのジンバブエのクレオパス.クンディオナ (26) に亡くなった次男,文興進(ムン・フンジン)が霊的に再臨したと公認し、幹部や信者らに罪の告白をさせるために1987年から1988年にかけて世界を巡回させる。 この年、「日本赤軍」の菊村憂らがアメリカに派遣され、文鮮明の夏別荘を爆破して暗殺する計画があったが、天(神)の保護で未然に防がれたと教会内部では語られている。[26](米国国務省は、菊村憂がパイプ爆弾3本を所持していたとして逮捕された事件は米軍に対するテロの準備であって、イタリアのナポリにおいて、ナイトクラブ前に駐車していた自動車の爆破により、米軍人を含む5名が死亡した「日本赤軍」によるものと思われる作戦との同時攻撃を行なう計画であったとの見方を発表した) 9月 韓国ソウルで行われた第24回夏季オリンピック大会に、三男の文顕進(ムン・ヒョンジン)と4女の文恩進(ムン・ウンジン)が馬術競技に韓国代表として出場する。 9月1日 「天父主義」を宣布する。兄弟としての争いのある民主主義に代わる怨讐のない時代に入ったという。 4月11日 ゴルバチョフ大統領とソ連大統領執務室において30分間の会談を行う。彼の平和の計画をあらゆる形で助けると約束したという。「特別な贈り物」だとして、「霊感商法」で売られていたのと同様な龍の彫り物のある大理石の壷をゴルバチョフに手渡す。 8月27日 「世界平和宗教連合」を創設。人間における体の立場にある政治を心の立場にある宗教が主体となって導いてゆくという関係を作るべきだとされる。 11月30日 側近の朴普煕、金孝律(キム・ヒョウリョル)特別補佐官らと共に、韓国政府の許可なく朝鮮民主主義人民共和国を電撃訪問。 文鮮明は北朝鮮に対し、35億ドル(約4400億円)の支援を約束。30万坪の平和公園や教会建設、平和自動車設立、普通江(ポトンガン)ホテルの経営権移譲なども提案。(韓国政府は一時、この無許可訪朝を国家保安法違反として逮捕の動きを見せたが方針を転換し、処罰しなかった。) 3月26日 特例措置で14年ぶりに日本に入国。アメリカで脱税により1年以上の実刑判決を受けているため出入国管理及び難民認定法第5条の規定では原則として終生日本に入国できないが、「北東アジアの平和を考える会」という国会議員の会合に出席する名目で法務大臣(田原隆)から同法第12条の上陸特別許可が下りた(自民党の金丸信副総裁の法務省に対する政治的圧力により入国させたと言われる。)。しかし、その会合は実際には行われず、滞在期間の大半は日本の統一教会(統一協会)幹部との会合や関連企業の視察(ハッピーワールド、世界日報)ワコム、信者への講和に費やされた。31日には金丸信、中曽根康弘と会談。 7月30日 文鮮明の亡くなった次男、文興進が再臨したと言われていたクンディオナと神吉秀明が東京第二弁護士会で記者会見、8月2日の千葉の幕張メッセの反統一教会の特別集会でも講演し、文鮮明の性的スキャンダルを告発。 8月24日 韓国のリトルエンジェルス芸術会館に於いて「わたしは真の父母・救世主・再臨主である」と公の場で初めて「メシア宣言」する[1]。 8月25日 ソウルのオリンピックスタジアムで3万組の合同結婚式を執り行う。式の模様をマスコミが取材することが初めて許可された。 9月7日 韓鶴子がニューヨーク市の国際連合の第二会議場で、「神、女性、そして世界平和」のテーマで講演。 10月 草創期からの弟子である朴正華(パク・チョンファ)が『六マリアの悲劇―真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版)を出版。文鮮明が自らの教えを利用して、多くの女性信者と関係を持ったことを告発する内容。 日本を救うための16万人の日本人女性を教育しなければならないとして、韓国の水澤里中央修練所で直々に修練会を行い、士気を鼓舞させる。「救国基金」として1万ドル(約110万円)完納せよと日本の信者に要請する。「所有権返還」のために、信者に「貯金通帳を出しなさい!」と迫る。16万人の女性信者を参加させ、教育できるかどうかに、日本の救いがかかっているとされた。翌年の済州島での修練会と合わせても16万人の参加は困難だったので、数を埋め合わせる為に、同じ人が数回参加したことで、象徴的には勝利したとされた。参加した者には「救国献金」という1万ドル(約110万円)の献金が要請される。(複数回参加した信者はその回数分の献金が要請された。) 統一教会(統一協会)の反対運動をしていた卓明煥(タン・ミョンファン)と自分の指示を無視して政党をつくろうとした人物が同年2月18日という同じ日に死んだ(卓は新興宗教団体の信者に殺害された)ことに言及し、統一教会(統一協会)に反対する者はみな、霊界に連れてゆかれると発言[29]。 7月12日 金日成が死去した直後、北朝鮮政府から葬儀出席の招待状をもらい、北京の北朝鮮大使館に弔花を届ける。 4月3日 「ニューホープファーム宣言」ブラジルのマトグロッソドスル州のジャルジンを“新しいエデンの園”と宣言。 8月 長男、文孝進の妻、洪蘭淑(ホン・ナンスク)が夫の暴力と不品行に耐えかね、5人の子供を連れて、文家を脱出する。 8月8日 文鮮明の長男である文孝進と離婚した洪蘭淑が、アメリカCBSのドキュメンタリー番組『60 Minutes』で文家の家族生活の不道徳性について訴えた。四女の文恩進(ムン・ウンジン)は「文鮮明は、唯私のお父さんだというだけです。それだけで十分な説明になります。」と父親のメシア性を暗に否定し、父親に「サミー(サムエルの愛称)」という私生児がいることも暴露。ヨーロッパの元教団幹部の娘、ドナ・コリンズは「文師の教理と実生活があまりにも差があり、かけ離れているのを目撃したんですよ。」と語る。は同番組に「うちの息子の悲劇的な問題で惹起された蘭淑の苦痛を可哀そうに思う」とのコメントを送った。 8月25日 韓国における第二回「世界文化体育大典」において、36万組国際合同結婚式が行う。教義上、最重要な儀式である「聖酒式」を欠席する。忠母様(文鮮明の母)・大兄様(文鮮明の兄)・大母様(韓鶴子の母)の三家庭を霊人祝福。 4月16日 ワシントンで行われたワシントン・タイムズ財団創立会での「救援摂理史の原理観」と題する講演で、イエス・キリストは母マリアと親族である大祭司長のザカリヤによって、無原罪の神の息子として生まれたと語る。[5] 女性信者1600名を海外宣教師として南米等の160か国に派遣。この頃、ブラジルのジャルジンの1億坪の土地を購入し、「ニューホーム村」という集団村を建て、夫婦で参加する40日修練会を行った。 11月29日 アメリカのワシントンD.C.のロバート・F・ケネディスタジアムでの第三回「世界文化体育大典」において、4千万組国際合同結婚式が行う。32億名の霊人祝福も行ったという。ホイットニー・ヒューストンがゲストとして予定されていたが、統一教会(統一協会)関連のイベントであることを知って、病気を理由に直前に出演をキャンセルしたと言われる。ジョージ・H・W・ブッシュ前大統領夫妻も欠席 12月 長男の文孝進がアルコールと薬物乱用と夫の人格を理由に 洪蘭淑が求めた離婚が成立する。孝進は薬物乱用の事実を認めた。 韓国が経済破綻し、教団関連の多くの企業が倒産した翌年にあたるこの年には、神の怨みを解き、天国に入るための条件として「総生畜献納」という160万円の献金が要請された。 5月13日〜15日 長男の文孝進と共に、南米の大湿原パンタナールで、聖人・地獄解放のための特別精誠条件を立てたという。 6月13日 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3億6千万組第1次合同結婚式において、1969年に事故でなくなった喜進(ヒジン)を含む92億の霊人を祝福したという。かつては文鮮明と拘わりのあったと噂された女性たち(第二夫人の金明煕、「二人お母様」と呼ばれた崔元福、李京俊、李貞玉)がそれぞれ、ソクラテス、釈迦・孔子・マホメットの妻として祝福する。また歴史上の悪人であるヒットラー、スターリンなども祝福したという。 7月からブラジルのジャルジンにおいて、夫婦で参加する「世界平和と理想家庭のための40日修練会」で信者を直々に指導する。 5月14日「サタン完全(自然)屈服の日」を宣言。(サタンである天使長ルーシェルが文鮮明に屈服し、神様と、文鮮明夫妻と、全人類に謝罪の手紙を書いたという。) 既存の説教集の合本を「聖本」と名づけ、3千万円献金した信者に文鮮明のサイン入りの「聖本」を授けるとして、各地区にノルマをかけて、 献金を奨励。 2月 北朝鮮の金正日総書記兼国防委員長が文鮮明の80回の誕生日に、祝賀メッセージとプレゼントを送る。 8月 韓鶴子と共にアラスカ州で鮭の釣り過ぎで摘発され、一人につき罰金250ドル(約二万七千円)の罰金を科せられたと外電に報じられる。 8月18日〜20日 ニューヨークの国連第二会場で、国際会議「アセンブリ2000」(「世界平和超宗教連合」主催)において「国連の刷新と平和の文化建設」と題する基調講演で、宗教指導者たちによる超宗教議会を、国連の上院組織として設置し、国連を上下二院制にすること、世界のあらゆる国境線・紛争地帯を、国連管轄下の平和地区にすることなどを提案。 10月 1960年からの行われた合同結婚式に関して、効率と安定成長を集団結婚産業に持ち込んだことに対する功労を称えるとしてノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞経済学賞受賞。2006年10月9日付朝鮮日報記事 8月18日から2週間 韓国済州島の国際研修院における「世界指導者統一思想・勝共理論修練会」で指導。全世界から約500名の指導者が参加。 12月25日 クリスマスのこの日に、霊界では「霊界5大宗教代表の決意文採択と宣布式」が行われたという。キリスト教のイエス・キリストと12名の代表、儒教の孔子と12名の代表、仏教の仏陀と12名の代表、イスラム教のマホメットと12名の代表、ヒンズー教:3名(12名のうち)の代表らが文鮮明を人類の救世主、メシア、再臨の主、真の父母であられると宣言し、真の父母(文鮮明夫妻)に侍り、神様の国と世界平和のために和合、統一、精進することを決意し、宣布したという。(金英順(キム・ヨンスン)が受けた啓示として紹介した。) 2月16日 韓国ソウルのオリンピック公園フェンシング競技場及び各国会場で億組第3次国際合同祝福結婚式を開催。 2月6日 「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を行う。神様と真の父母(文鮮明は夫妻)が天地人父母様となり、天の王権が現れることができるようになったとされる。ソウルのロッテホテルでの83歳の誕生日と韓鶴子の還暦祝賀記念世界首脳会議が行われる。再祝福式に長女の誉進(イエジン)、三女の仁進(インジン)、四女の恩進(ウンジン)、六女の情進(ジョンジン)が欠席。 3月7日 ヨーロッパの草創期の教団幹部の娘である元信者のドナ・コリンズが第37回全国霊感商法対策弁弁護士連絡会の東京の集会で講演。幼い頃から間近で見てきた文鮮明一族の実態を語る。「もう『真の聖なる家族』なんてのは問題にならない。全部彼のやってることは嘘だし、聖の逆だと思います。」と告発。[6] 3月23日 米国議会上院オフィスビルで、「平和大使授賞バンケット」(「世界平和超宗教超国家平和協議会(IIPC)」主催)を開催。米国各州を代表する上院と下院議員の80名をはじめユダヤ教・キリスト教・イスラム教および全世界の宗教宗派を代表する指導者約350名が参加。世界各国で平和活動に貢献した指導者らに「平和の王冠賞」が授与された。最後に、IIPC創始者文鮮明のこれまでの業績を称え、ロスコ・バートレット下院議員(共和)とダニー・デービス下院議員(民主)がマントと王冠を授与した。これを教団は「真の父母の戴冠式」として、アメリカ議会が文鮮明を再臨のメシアとして受け入れたかのように宣伝した。メディアの報道によって市民から参加した議員達に抗議の声が上がるなど、波紋を呼ぶと、教団関連のウェブサイトから、それらの模様を治めたビデオが削除された。[30]関わった議員たちの多くは「私はその日の行事がそんな性格なのか分からなかった」、「後で分かって非常に不快だった」などと述べたという。 2月14日 韓国の清平(チョンピョン)において、「天宙統一平和の王戴冠式」を挙行する。霊界の五大聖人をはじめとする各界の指導者と世界各国各界の著名な指導者が、文鮮明を「天宙平和の王」として推戴したという。 6月 教団の機関誌『ファミリー』5月号に、文鮮明と実態的な血統転換(血分け)があったとも取れるような金明煕の証言が載る。 6月25日 世界を一つに結ぶためのベーリング海を橋とトンネルで結ぶ「ワールド・ピース・キング・ブリッジ−トンネル構想」を発表。 12月 韓国の京畿道一山(イルサン)国際展示場(KINTEX)で民団と朝総連系など在日韓国人1万名余と以北5道民リーダー、嶺南・湖南リーダーなど5万名余を集めて大会を行う。天宙平和連合の役目と南北統一に対して語る。 ブルガリア・ソフィア市内のホテルでセミナーを行うための1日訪問と「統一教会」の公認を求めたがブルガリア政府は拒否。 6月13日 韓国・清平で文鮮明夫妻は、「天正宮博物館開館式」と「天宙平和の王真の父母様戴冠式」を開催。天宙清平修錬苑では、この開館式と戴冠式を中心とする一連の行事が6月6日〜13日まで8日間にわたって行われ、全世界から連日2万人以上の人が集い、祝賀した。 6月16日 妻の韓鶴子がモンゴル大会から再び巡回講演を始める。子供女様も同行。中央アジア、中東と回り、7月に入ってからは欧州諸国で連日、講演。 7月31日〜8月7日 三男の文顕進が日本で「神様の理想家庭と平和王国を実体化しよう!」のテーマで講演ツアーを行う。長男の信元(シンウォン)が7月31日の成和学生大会でスピーチ、長女の信愛(シンネ)がコンサートを、次男の信重(シンジュン)も青年教育プログラムのメンバーとして参加。 8月1日 四男の文國進(ムン・クッチン、「韓国統一教会維持財団」理事長)が一成建設]長・方(パン)ヨンソプを「韓国統一教会維持財団」の副理事長・「統一グループ」副会長に任命。就任式で國進は「方(パン)氏は昨年、祝福を受けた人」と紹介した。わずか1年でグループNo2になったのはこれまでにない異例の人事。 8月3日 大塚克己が再び日本統一教会(統一協会)会長に就任。9日に渋谷松涛本部で就任式。前会長の小山田秀夫は世界巡回師に任命される。 崔元福(チエ・ウォンボク、さいげんぷく):梨花女子大の教授であったが、統一教会(統一協会)に入教したことで、大学から罷免され、夫からも激しい反対を受け、離婚し、3人の子供とも長らく会わずにいたという。文鮮明の法律上の妻ではないが、「崔お母様」と呼ばれたり、韓鶴子との結婚以来、文鮮明が公的に出かけるときはいつも随行し、妻のように見られたことから、韓鶴子と共に「二人お母様」などと呼ばれたが、教義的な説明は未だになされていない。1998年の合同結婚式において、霊界の釈迦の妻として祝福された後、2006年に89歳で亡くなった。 文鮮明の子供たちは血統的に無原罪とされており、「真の子女(様)」と呼ばれる。洪蘭淑は文鮮明の子供たちが自分達の母国語であり、教会では世界の共通語となるとされている韓国語を話せないのを知り衝撃を受けたという[3]。文鮮明の幼い5人の子供はアメリカで生まれ育ったこともあり、文鮮明とは言葉も通じないという[31]。 長男・文孝進の元妻洪蘭淑や三女・文恩進(ムン・ウンジン)、ヨーロッパの元幹部の娘、ドナ・コリンズなどが文鮮明に婚外子がいると証言しており[31]、洪蘭淑は自著でその少年が文鮮明と女性信者との情事から生まれたことは「36家庭」の間では公然の秘密であり、1980年代末には少年自身と文家の第2世代にだけその事実が知らされたと記している[3]が、教団は一切認めていない。 統一教会関連の企業と団体 国際勝共連合 原理研究会 天宙平和連合 世界平和女性連合 世界平和教授アカデミー 天地正教 国際救援友好協会 サービスフォーピース リトルエンジェルス SHINZEN 野の花会 日韓トンネル研究会 鮮文大学校 ブリッジポート大学 城南一和天馬 桜田淳子 徳田敦子 川瀬カヨ 松下正寿 福田信之 笹川良一 岸信介 安倍晋太郎 中曽根康弘 渡辺久義 ロナルド・ウィルソン・レーガン ジョージ・H・W・ブッシュ 浅見定雄 有田芳生 紀藤正樹 山口貴士 中村敦夫 飯干晃一 リチャード・コシミズ 石井紘基 「全国霊感商法対策弁護士連絡会」 ^ 「龍」は『聖書』において、サタン(悪魔)の象徴として使われていることもあり、文鮮明は宗教活動を行うに当たり、“鮮明”と名乗るようになった(ドラゴン#神話学におけるドラゴンを参照) |
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